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夫がカタログマニアで困ってます
栗城史多さんを、私は「山に登るエンターテイナー」と呼んだ。
彼の功績は、登山を可視化したことだろう。普通の人では到達できない「死の領域」から、懸命に格闘する登山家の姿を伝えた。「だって、もったいないじゃないですか」。彼は私にそう言ったことがある。「こんなに苦労して登っているのに誰も知らないなんて」。だから彼は、それを記録し、やがてインターネットを使って動画配信を行うようになった。
彼を二年にわたって取材して、私は登山というジャンル(?)のある「特殊性」に気づいた。
たとえば陸上競技の短距離走で「世界最速」と言えば、皆、ジャマイカのボルトの顔が頭に浮かぶはずだ。だが「最初に9秒台を記録した選手は?」と聞かれて名前が出てくる人はよっぽどのマニアだけだろう。どのスポーツでも新記録を樹立した選手に喝采が贈られる。
だが登山は違う。山の頂きに「初めて」立った人物が、永遠に色あせない最高の栄誉を与えられるのだ。
後は「厳冬期に初の」とか「難しい南東ルートで初登頂」とか、条件付きの栄光になる。1953年、イギリスのエドモント・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイがエベレストに初登頂した時代に比べれば、登山用具もウェアも飛躍的な進歩を遂げた。ついでに言えば、温暖化で厳しい冷気も多少は和らぎ、行く手を遮る氷河も後退してる。現代の登山家には生まれながらにアドバンテージがある。称賛が目減りしていくのはある意味当然なのかもしれない。
《そんなのイヤだ!》 と、おそらく本能的に、栗城さんは感じたのだと思う。
何か、誰もやっていないことがないか? そうだ、映像だ! 技術が進化を遂げているなら、それを利用してやろう! ビデオカメラで自撮りをするようになった登山家は、その映像と、「七大陸最高峰」という言葉のマジックで、スポンサーを獲得していく。
人の耳目をひくこと、人に感動を与えられること、自分が輝くこと……行きついた先が、「夢の共有」と彼が呼んだ「インターネットでのエベレスト登頂生中継」だったのだと、私は推察する。 時代が彼に、その構想を与えたのだ。
新時代の登山家は、ネットで自分と世界をつないだ。
だが表現者のはしくれとして言わせてもらえば、彼の表現は軽くて幼かった。 「怖い」「苦しい」「帰りたい」「チクショウ!」……せっかく誰にもマネできない営業力で遠征費を集め、最高の舞台に立っているのに、といささか鼻白んだ。
私が彼の立場であれば、まず初めに、《ネット生中継というものが山を逆に小さく見せてしまわないか?》と危惧を抱く。そう見えないように、どう描くかを考える。伝える者の最低限のモラルとして、ヤラセはなし。その山で何を感じ、どう伝えるか? 自分の感覚を研ぎ澄ませ、言葉を探す。
彼の功績は認めたい。だが同時に、荘厳な「世界の屋根」を窮屈なパソコンの中に閉じ込めてしまった印象も受けてしまう。
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