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方言 たのしいはソコにある

方言超好き!

わが国の民俗学の生みの親である柳田國男は、『蝸牛考』(かぎゅうこう 1930年)という著作の中で、方言分布について、一つの仮説を提唱しました。

それは、方言周圏論(ほうげんしゅうけんろん)と呼ばれ、方言の語や音などが、文化の中心地から同心円状に分布する場合、同心円の中心から一番外側にある地域に、最も古い形が残り、内側にいくに従って、より新しい形へ順次変化していったと推定する仮説です。

たとえば、蝸牛(かぎゅう)を指す方言を調べてみると、近畿地方では「デデムシ」といい、中部地方や四国で「マイマイ」、関東や四国で「カタツムリ」、東北と九州の一部で「ツブリ」、そして東北北部と九州西部では「ナメクジ」となります。つまり、近畿地方を中心として、同じ方言が同心円状に分布していることがわかります。

一方、かつて文化の中心地であった近畿地方の京都では、蝸牛(かぎゅう)の歴史的に最も古い形がナメクジであり、時代が進むにつれて、ツブリ、カタツムリ、マイマイ、デデムシというように、順次変化していきました。

このことから柳田は、蝸牛(かぎゅう)を指す方言が、その時の流れと比例するように、中心地から東西南北へ、同心円状に拡がったのではないかと推定しました。

柳田の提唱したこの方言周圏論は、一部批判があったものの、現在でも方言学などでは、基本的仮説の一つとされています。

そこで、表題の奄美の方言ついて考えてみると、歴史的に奄美は、7世紀の頃から大和朝廷にしばしば貢物を献げていたことが、「日本書記」および「続日本記」に記されていることから、上古の昔から、日本と深い関係をもつ地域であったことがわかります。

ある意味、当時の日本の最南端と認識されていたと言ってもよいかもしれません。

そして、方言周圏論に当てはめていえば、まさに日本の中心から一番外側(辺境)にある地域にあたり、最も古い言葉の形が残っている可能性があるということになります。

それだけでなく、奄美には、1185年の壇ノ浦の戦いで敗れ落ちのびてきた平家の落人(おちうど)たちにより、本土の文化が伝えられたといわれています。

その痕跡は、奄美に伝わるシマ唄の歌詞に濃厚に残っているだけでなく、加計呂麻島(かけろまじま)にある平資盛(たいらのすけもり)を祀る大屯(おおちょん)神社に、国の重要無形民俗文化財である「諸鈍(しょどん)シバヤ」という、平家ゆかりの踊り・村芝居が伝えられています。

それでは実際に、奄美の方言をいくつか採りあげて、方言周圏論が当てはまるのか考えてみたいと思います。

・こんにちは(標準語) ⇒ うがみんしょうらん(奄美方言) 

 ⇒ 拝(おが)みて候(そうろう)(古語)  

 ※【拝む】は、「拝顔する。お目にかかる。」の意味。

・ありがとうございます(標準語)

 ⇒ とうとがなし(尊々加那志)(奄美方言)  

 ⇒ 尊(とうと)し+ 愛(かな)し(古語) ※「とうと」は、尊い。

 「かなし」は、愛(かな)し。意味は、しみじみとかわいい。いとしい。

・~でありますように!(標準語) ⇒あらち給(たぼ)れ(奄美方言)

 ⇒ 「たぼれ」は「給(たま)へ」。「あらせ給へ」(古語)

・きれい(標準語) ⇒ きょら(奄美方言) ⇒ 清(きよ)ら(古語) 

・子供(標準語) ⇒ わらび(奄美方言) ⇒ わらべ(古語) 

・哀しい(標準語) ⇒ あわれ(奄美方言) ⇒ あはれ(古語) 

・早朝(標準語) ⇒ しとぅみてぃ(奄美方言) ⇒ つとめて(古語) 

・来世(標準語) ⇒ ぐしゅう(奄美方言) ⇒ ごしょう(後生)(古語)

・わたし(標準語) ⇒ あ(奄美方言) ⇒ あ(吾)(古語)

・あなた(標準語) ⇒ な(奄美方言) ⇒ な(汝)(古語)

これらはほんの一例に過ぎず、精緻な考証には程遠いですが、確かに奄美方言には、本土ではすでに死滅した平安朝の頃の古語が、音韻を多少変えながらも、しっかり残っているのがわかります。

さらに驚いたことに、茂野幽考氏の著書「奄美民謡註解」によれば、 奄美大島の方言の約7割は大和古語であり、本土ではとうの昔に失われてしまった古事記や万葉集に用いられた上代語が、今でも方言の中に生きているとのことです。

やはり柳田の提唱する方言周圏論は、奄美と本土の関係においても、当てはまる部分が多く、一定の説得力をもっていると感じます。

そしてその法則性は、言葉だけでなく、文化や習俗全般にわたっても、幅広く成り立つのではないでしょうか。

奄美の民俗研究家である金久正(かねひさ ただし)氏は、その著書「奄美に生きる日本古代文化」(南方新社)に、「特に記紀万葉(=古事記・日本書紀・万葉集)に現われる素朴な、いわゆる上代語なるものが、この島の方言に今なお数多く残され、それぞれの生活感情を伴い、そのため記紀万葉も千年の昔というよりも、むしろ身近な生活記録として、ひしひしと実感に訴えるものにしているわけである。」と書いています。

つまり、奄美の言葉をはじめ、その文化・習俗を深く調べることで、儒教や仏教等の外来思想が大きく流入する以前の、日本の古来の心映えを、現在でも生きているままに直(じか)に触れ、感じることができる可能性があるのではないでしょうか。

そしてこれは、わが国民俗学の巨人である折口信夫が、すでに沖縄の民俗を対象に試みて、大きな成果を挙げている方法でもあります。

とりわけ奄美民謡は、12世紀に来島した平家の落人(おちうど)が伝えた神歌がその起源といわれています。

そのため、奄美民謡(シマ唄)の歌詞には、本土の古語に通じる語彙が豊富に残されており、いにしえの日本の心映えを知るには、とても貴重な生きた資料とな
ると考えられます。

私が奄美の民俗のみならず、とりわけ奄美のシマ唄に大きな関心をもっているのは、以上のような理由があるからです。

最後に、奄美方言の実例として、奄美の新しいシマ唄「トウトガナシ」を紹介して、この稿を終わりたいと思います。

この歌は、奄美民謡出身の歌手 城南海(きずきみなみ)さんが作詞・作曲した、奄美の新シマ唄ともいえる曲です。作詞にあたっては、島の古老たちに昔の奄美方言の指導を受けたということで、すべて伝統的な奄美の言葉(シマ口)で書かれています。

【歌詞】祈り歌~トウトガナシ~
    
    飛(とぅ)びゅるクッカルぬ
    (飛んでいるアカショウビンの)
    美(きょら)声(ごえ)にひきゃされてぃ
    (美しい声にひかされて)
    森こえればよ
    (森をぬければ)
    青(おお)さん海ぬあたん
    (青い海が広がっていた)
    今日(きゅう)ぬ誇らしゃ 何時(いつい)よりも
    (「今日という素晴らしい日」)
    勝り 何時(いつい)も今日(きゅう)ぬ如(ぐとぅ)に
    (「いつも今日のような日でありますように」)
    とぅあらち給(たぼ)れ ネリヤカナヤに祈りてぃ
    (とネリヤカナヤに祈って)
    ゆるくびも くちぇさも
    (喜びも 悲しみも)
    なきゃ想(うむ)ぃ涙(なだ)も 歌に変えてぃ
    (あなたを想う涙も 歌に変えて)
    魂(まぶり)いちがれん 響かし給(たぼ)れ
    (魂をいつまでも 響かせておくれ)
    吹ちゅれいよ 南ぬ御風(はいぬみかぜ)
    (ふいておれよ 南の御風)

 

  太陽(てぃだ)ぬうてぃまぐれ
     (太陽が沈む頃)
    母父(あんまじゅう)とぅ浜うれぃてぃ
     (母と父と浜におりて)
    聞ちゃる波音(なみうとぅ)
     (聞いた波音)
    あん日々(ひび)や懐(なち)かしゃ
     (あの日々が懐かしい)
    しとぅめてぃうがめーら 茶んはち
     (おはようございます
       朝のお茶をお供えいたします)
    しきぃれんど 今日(きゅう)まいい事ぶぇん
     (今日もいい日でありますように)
    あらち給(たぼ)り 尊々加那志(とおとがなし)
     (トウトガナシ)
    今(なま)も聞かるん
     (今も聞こえる)
    くぬ島に生(ま)りてぃ
     (この島に生まれて)
    くぬ島想てぃ生きゆん
     (この島を想い生きてゆく)
    うやふじうかげ 忘れぃやならぬ
     (今の私達があるのは祖先のお陰 忘れてはならぬ)
    何時(いつぃ)ぬ日も くぬ胸(きむ)に
     (いつの日も この胸に)

歌詞を味わいながら聴いていると、平安の頃の和歌を彷彿とさせる美しさ、奥ゆかしさを感じます。また言葉の響きに、方言に付随する土臭さがなく、そこはかとない雅(みやび)ささえ漂っているのには驚かされます。

やはり平家の落人(おちうど)たちが奄美にたどり着き、もたらした文化は、確実に奄美の言葉の中に生きている。歌詞にこめられた言霊(ことだま)の力が、それを確信させます。

まさに奄美の言葉のもつ美しさは、わが国のいにしえの言葉のもっていた美を、今にそのまま伝えているのではないか。そんな印象をもちました。

城南海さんの卓越した歌唱力・表現力と相まって、何度聴いても飽きることのない、深い魅力をもった名曲ではないでしょうか。

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