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一番下の【侵食の粉】ですが、ストーリー全部終わらせてもこれくらいしか持ってないんですよね(^^;
幻獣をテトラシルフィードにして回避100%、純心の髪飾りで状態異常耐性、源氏の盾で即死耐性。
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こんばんは!MIUは那須の戦争資料館にいます。
軍艦「志賀」です。戦艦や巡洋艦など船は命名の仕方面白いですね。
茨城の大洗磯前神社には巡洋艦那珂があります。那珂川からとられたかなと。
さて、昨日にひきつづき、西郷どんシリーズです
今日は軍艦奉行の勝海舟の師弟関係にあり、船を操縦した
坂本龍馬がなぜ殺されたかです!
これも大いに家紋がかんけいしますよ
さて、徳川慶喜まで話が進んでいましたが、新選組を使って
菊(天皇)の取り合いを始めた葵(徳川宗家)
それに手を組むようにスパイする鷹(西郷隆盛)
葵と真っ向から対決毛利の3星(長州)
鷹の動きを監視するスポンサーの十字架(薩摩)
というバチバチの戦いの中
一人現れた若者
長身の目が細い男、船の扱いもできたよ!
家紋は囲み桔梗!
桔梗紋はもともと清和源氏流土岐氏の家紋で、その流れを継ぐ家で使用されることが多く、さまざまな人物がこの紋を使用しています
この紋付を羽織っていたのはこの人!
北辰一刀流の土佐藩脱藩浪人で
もうわかりますね、この紋付着てる姿が銅像にもなってます。
「坂本龍馬」
この人、薩長同盟の間に入ったり、幕府の軍艦奉行、勝海舟の元で船を扱います。
船の扱いができる人は重宝されたので
プライベートな話をすれば、
神戸の海軍奉行の訓練所(神戸海軍操練所)
などで教えたりするうち、自分で商売することを考えます
私設海軍もいいよね?と
しかし毛利家が持っている「村上水軍」という部隊、瀬戸内の海図は
村上水軍の持ち物ですね、つまり毛利のもの
幕府が何度も長州征伐するなかにか
瀬戸内の海運利権=村上水軍がほしかった
それに村上家といえば村上天皇、清和源氏からの名家
いっとくが海賊業は一度もやっておりませんよ
海運業ですからね
竜馬のように私設海軍なら長州と仲良くしておけば
つまり脱藩浪人でいればフリー
そこから海運の権利を取れるのでは?とのたくらみが見えますね
よくありがちですが、
坂本龍馬は
貿易を船でやることを思いつき、亀山社中を作りますが、これが総赤字で
倒産の危機。海援隊と名前を変えても、自由人たちが商売なんてむり!
そんなおり、土佐藩の岩崎弥太郎が勘定する(経理的な仕事ね)
土佐藩の商売部門「土佐商会」が竜馬のにっちもさっちもいかない海援隊を
ひきとり吸収合併します。
ここでほぼ初めて岩崎と竜馬は顔を合わせます
竜馬の印象は、「政治家であって商売上手ではない、管理ができない」
という弥太郎の言葉でした。
つまり土佐からみても竜馬がいなくなっても特に経済的には困らない雰囲気
後藤象二郎が船中八策を竜馬から受け取り、
薩摩家老の小松帯刀と二条城で慶喜に提案しますが
「うちの坂本龍馬っていう脱藩浪人が書きましてね」
とはいうわけない。
土佐藩主が書きました
と後藤は言うでしょうね
「ショック!」
なのは慶喜です。
慶喜が菊を手に入れるためにしか動いてないとしたら
土佐藩、薩摩藩ら勢いのある藩士持ってる藩が
完全に幕府倒すために戦争仕掛けて
天皇家クーデター起こしたら、葵の危機
だって葵一門みんな切腹打ち首になったら
家康の言葉
「血を絶やさないために、敵対する相手が勝ちそうならそっちについてね」
を守らなきゃいけない!
水戸藩育ちの慶喜が考えることはお見通し
「菊はもう葵のいうことは聞かない。菊に大名もついた。
ならば敵となる前に菊に従おう
菊に従ってみせて、とにかく葵の血を残すことが大事、
葵の血さえ残せば、いつか再起できる…」
そこで頭の回転が速い慶喜は機を見て今と判断したのです
「政権は天皇家に返します」これを大政奉還といいます
土俵間際の詰めでうっちゃったつもりの慶喜。
しかしこの判断は実は遅すぎたのでした
もう鷹(西郷)は天皇の声明文を手にしていましたよ
「幕府は倒して天皇の御代にするもんね~!」
慶喜最大のいえ、陽だまりの大樹になってしまった
奢れるものは久しからずの徳川家
家康ほどの戦闘能力のない殿様らは
戦法を忘れてしまっていました。
「先手必勝」を。
ちなみに土佐商会は維新で解体(土佐藩自体が解体するから)したあと
岩崎弥太郎は三菱商会を作り、今の三菱になっていますね
これが岩崎家の家紋
「三つの菱型」ですから「三菱」
そして、政商として政府高官になった土佐藩の後藤象二郎とズブズブの関係
しかし西南の役、台湾出兵で輸送船を出して活躍
ここも船ですね!そして今の三菱の礎となるけども
ズブズブの土佐藩とは
このマークみたことあるよね?そう今の三菱マーク
おそらく礎は土佐藩の商会からスタートし、自分は土佐藩の藩士でっせ
と後藤にも世間にもアピールしたかったのでは?と推測
それほど家紋っていうのが、江戸時代に重要だった証拠ですよね
ゼロ戦のこの羽に似てますね。ゼロ戦も三菱製です
竜馬がいなくなったあとに三菱と後藤がもうかった
という図式はありませんね
竜馬は土佐に殺される理由はありません。船中八策を書いたことを
漏らさないように!と口封じもあるけど
むしろ、その原案は横井小楠(熊本藩)が書いたから違うしね
編集したのが竜馬なんで著作権どっちかな?
ちなみに横井も竜馬とそこまで話せたのは
この坂本の紋が
加藤清正のに似てることから
「この御仁はもしや…」
「はい、生まれは土佐ですが、元は清正公の…」
なんて言えば通用していたのかも。
その前に松平春嶽のところで横井も働いてたので、紹介状に違いないですけどね
さて竜馬に戻りますよ
この家紋は明智光秀。桔梗が同じことから明智の末裔?ともささやかれ
これは加藤清正です
あれ、加藤と明智って似てない?そう、これは似ている場合はほぼ
親戚筋か本家分家と思っておくほうがいいでしょう
そもそも戦国時代は元は源氏、平氏といってるくらいなので
もとは同じ家柄でしょう
。秀吉はわかりませんが
じゃあ、長州の桂小五郎(木戸孝允)は
これです。菊の紋が入った菱型
桂小五郎は毛利家と同じ大江家の末裔なので
毛利家でも上級武士ですよ
幕末みんな下級武士!とかいつしかくくられがちですが
西郷隆盛の実は「菊池一族です家紋」
はいこれ、「重ね鷹」ね
家紋似てるけど~とかはないんですよ。有名武将、名家にくりそつな
家紋作っちゃったら切り捨てゴメン
だって、詐欺ですもん。経歴詐称ですし、身元明かさず相手に会える時代じゃないの
勝海舟のところにも、松平春嶽からの紹介状あって竜馬はたずねていますね
でなきゃ、刀振り回すのわかってる装備の人を
家に入れんでしょう~
さあ、まとめていきますよ
明智、加藤と名家を思わせる「坂本」の家紋
で、武家らは坂本龍馬を信用した。
土佐は特に上士と下士と分かれてたので、明智や加藤の家柄の名門の
坂本竜馬にとって、単に山内家の元からの家臣じゃないからって
下士でいるのは我慢ならない
だったら、フリーになって、家柄で勝負しよう!
そして脱藩、そして船を操り、船が戦争ではかなり重要ならそれでも儲かるし!
と諸般の戦争担当者と軍用船を売る話をしているうち
「坂本君、君の家柄なら、天皇(菊)が信用する。仲間になるか?」
と誘いを受けるが
商売もやりたい竜馬は「うーん」と思う。
薩摩の西郷は鷹。菊が重用しているし、お金も動かせる人物。
長州は桂、菊の菱。毛利家が徳川家を倒すことを夢見ているし、村上水軍も
うまくつきあって、コラボしたい。
土佐は上士にしてくれるなら、悪い話じゃない。
政治的感覚がある商売人の竜馬は、どっちにつくか
考えた挙句
最後は土佐を選んだ。
船中八策を書いたのが竜馬だとわかるはずはない
正直、各藩から金を借りたり、商社の役割だった竜馬はいなくても
どの藩も困らない
商社マンが営業に来なくなったね~程度だろう
だが、一人だけ長年の恨みを抱えてる者がいたら?
鷹、菊池一族は
加藤清正という武将が熊本城を作り
熊本藩の藩主になった
加藤清正の側室は菊池一族の娘
ここで、西郷は加藤清正末裔か?の坂本龍馬を信用する
しかし
あちこちの藩と渡り歩き、船中八策にしても軍艦で書いたとなると
揺れるから書けるものではない。
停泊中にしか書けないとすると、それを渡すところを見られた
もしくは、西郷らのスパイが終始竜馬を監視してたら
しかも、仲良しの薩摩藩士が竜馬のそばにいたら?
「菊の取り合いで邪魔になりそうな裏切り者は消しとけ」
軍人宰相なら、冷静に判断するでしょうね
竜馬の傷は横十文字一発、一太刀で袈裟懸けにせず
横に切るは珍しい
示現流、薩摩の流派
もしくは、真っ暗闇で、竜馬の銅を狙ったので横切りに
竜馬は座っていたから頭だったというだけなのかも
ピストルが間に合わなかった
北辰流だと屋根が低い京都の旅籠だと、180cmの竜馬は刀を振り上げられない
だからピストルを所持
しかし、いつもピストル持ってるって
自分でも人に恨まれることやってる(詐欺師)しなあ~って人しかいないよね
サムライはいつも狙われたわけじゃないですよ
この二人
似ても似つかぬ性格の字
西郷は最初大きく、最後は何とか字を入れる
大言壮語風の性格
桂小五郎は墨使いも達者でエロスを感じるほどの指さばき
女にモテたでしょうね
しかし、どちらも大器を感じる筆さばき。名家の自信なり。
かわって竜馬は、旅先で書いた手紙文を見ると
小筆でひらがなのような流れ字で
何書いてあるかわかりにくい、スパイ文書みたいでしたねえ
那須の戦争博物館へは新幹線なすのが便利です!
源氏 ニンゲンは、ニンジンだけじゃ動かない。
誰やって?
そんなアホ、俺しかおらへんやろ(笑)
これだ。
茶碗①
吉村楽入造 赤楽 御題茶碗
落札価格3,000円
送料750円
計3,750円
白い絵が、何となくクリスマスに窓に貼るシールに似てませんか?
珍しい(初めて見た)ので、ついついゲット。
茶碗②
佐々木松楽造 前大徳寺 西垣宗興和尚書付 銘「好日」
落札価格5,000円
送料950円
計5,950円
私は西垣宗興和尚の(掛軸の字の)ファンなのだ。
珍しい(初めて見た)ので、ついついゲット。
茶碗③
佐々木松楽造 まくくすり黒茶碗
落札価格2,500円
送料1,700円
計4,200円
廉かった(実は傷がある)ので、ついついゲットしたが、送料が異常に高かった。
これは出品者が北海道の人だった為で、確認不足の私が悪い。
勉強になりました(笑)
…………………………………….
三件計13,900円。
ボーナスが出たので気が緩んだ酔っ払いの衝動買いである(笑)
この衝動買いには訳が無い事も無い。
自宅でお弟子さんに濃茶の稽古を始めるに当たって、もうちょっと楽茶碗が欲しくなったのサ。
ウチの師匠の稽古場では、濃茶の茶碗は楽茶碗に決まっている。
薄茶の主茶碗も楽茶碗が多いが、それ以外もある。
しかし、濃茶の茶碗と薄茶の主茶碗は必ず変えておられる。
つまり、毎月最低1個は楽茶碗を使うのだ。
私は一時期骨董市で「ニセ楽」を買うのにハマって、楽茶碗の数はあるのだが、それらは何故かちょっと小さい。
濃茶には使い難い。
表千家では、茶筅を茶碗に入れたまま二回目のお湯を注ぐので尚更だ。
それで、ずっと楽茶碗が欲しいな~と思っていた。
その思いが暴発したのである。
今月の給料が出て、おこずかいもらったら、代金を妻に渡そう。
(クレジットカード支払いにつき家計の口座から引き落とし。)
まあエエわ。
これで稽古がんばろ。
………………………………………………..
今日はM氏が茶通箱、M嬢が炭手前の稽古を付けて頂いた。
M嬢は、今回が初めての炭手前稽古では無いかな。
初心者の炭手前の稽古は、教わる方も大変だか、教える方も大変。
長期戦になるから(笑)
し
かし最初は苦痛でも、だんだん面白くなるから不思議。
いや稽古は、皆そうか(笑)
炭手前の稽古中、K君が私に訊く。
「濡れ灰って、どうやって作るんですか?」
「(小声で)ホンマは乾燥中の樽の中の灰の乾いてないヤツを出しとくんや。師匠はそうされるけど、多くの人は茶道具屋に[濡れ灰」を注文するんや。俺やったら霧吹きで濡らすけど(笑)」
茶通箱の稽古で、師匠はちゃんと2種類の濃茶を用意して下さって、有難いことだなあ。
どこの師匠も、そうされるとは思うが・・・そうでないと、2種類の濃茶を続けざまに飲む意味が無いから(笑)
…………………………………………………………
今日の師匠宅の稽古の道具組はこんなん。
掛軸 :大徳寺 真珠庵の先代 長谷川ナントカ和尚の一行物 「無事是貴人」
花 : 白玉椿の蕾一輪
花入 : 鶴首
花入敷板 : 丸香台
風炉先 : 桑縁金紗腰風炉先屏風
炉縁 : 黒掻き合わせ塗
釜 : 政所釜
棚 : 碌々斎好み 青漆爪紅 糸巻棚
(茶通箱)
茶入 : 京焼 文琳
仕覆 : 七宝文緞子
薄茶器 : 真塗小棗
仕覆 : 四座金襴
箱 : 桐木地四方桟
(濃茶席)
茶入 : 丹波焼 豊治窯造 生野写し
仕覆 : 剣付梅鉢文緞子
茶杓 : 煤竹 銘:兼六
茶碗 : 吉村楽入造 赤楽 木守写し
蓋置 : 佐々木松楽造 緑釉六瓢
建水 : 唐銅エフゴ型
主菓子 : 諏訪園製 きんとん 柚子の実型
菓子器 : 木製独楽塗喰籠
(薄茶席)
薄茶器 :: 真塗薬器棗
主茶碗 : 丹波焼 信水窯造 柿の蔕茶碗
替茶碗 : 膳所焼 陽炎園造 蕪の画
干菓子 : 柚子餅 大学芋スライス型菓子 金箔乗せ押菓子
干菓子器 : 溜塗高坏
今日も楽しく稽古出来ました。
師匠、M氏、K君、M嬢、ありがとうございました。
………………………………………
お茶の稽古後、Iさん宅で謡の稽古。
橋弁慶の最終章(グランドフィナーレ)と、鞍馬天狗の序章(オープニング)。
最近、子方の出て来る謡(橋弁慶とか鞍馬天狗とか、悲劇で無いヤツ)が愉しい。
サザエさんのタラちゃんではないが、ああいう声を大声で出すのが(笑)
それは冗談として、鞍馬天狗の子方は、遮那王(源義経の少年時代。幼名は牛若だが、鞍馬寺での稚児名は遮那王)なんだが、面白いセリフがある。
それは、
「月にも花にも捨てられて候(そうろう)。」
シテ(主人公)は、鞍馬山に桜の花見に出かけた貧しい身なりの僧(山伏)・・・(それは仮の姿で、実は後半、天狗に変身する。)
そこには花見中の高僧や稚児達が居たが、貧しい身なりの僧を嫌って皆が去って行く。
多分、花見の最中にホームレスのおっちゃんが、「ワシも入れてくれ」と言うて出て来た感じやと思う。
そんな中、只一人残った稚児が遮那王。
貧しい身なりの僧に優しく接する遮那王に残った理由を訊くと、出て来た言葉の中に、これがある。
他の稚児達は、「平家」や「平家に敵対しなかった源氏」の子弟たちで、遮那王(彼の父は、平清盛と争って滅ぼされた源義朝)とは全然扱いが違ったのだろう。
だから、これは、皆と花見や月見なんかしても全然面白く無いという疎外感、将来への絶望感、弱いモノへの同情心、平家への敵愾心の中で生きているという象徴的なセリフなんだな。
ああ、やっぱり平家物語が面白いわ。
Iさん、謡の御稽古、ありがとうございました。
源氏 関連ツイート
って名乗ってるのに、みんな『髭切』じゃなくて
「あにじゃああああああ!!!!!!」
って叫んでるの、全員に弟が憑依してる感があって大好き。
関西でもぞもぞやらせていただいてます〜
源氏推しの髭切最推しです💛💚
基本ちっちゃい子してます👼🏻
気になった方RT中心に♡もお迎えさせてください🐯🐼 https://t.co/7flNMpBUSF
って名乗ってるのに、みんな『髭切』じゃなくて
「あにじゃああああああ!!!!!!」
って叫んでるの、全員に弟が憑依してる感があって大好き。