方言 テスト、テスト、そしてテスト。
こんにちは。だいぶ暖かくなってきました。しかし僕の方はというと、風邪や謎の頭痛と痛風に悩まされる毎日でございました。
最初は「風邪になった影響で痛風になった」のかと思ってたんですが、もしかしたら「痛風になったせいで風邪のような症状になったのかもしれず、答えは藪の中です。しかしようやく最近、もやもやが晴れてきました。
さて、5月20日にマキニウム稽古場にて、「読みフェス」というイベントが行われました。
(フェイスブックのイベントページです。)
この日は、僕の方法論の朗読講座と、“まっつ”こと松本直人さんのお試し講座をリレーで受けていただくという、なかなか無い企画でした。朗読や演技というものは、導く人が違うとやりかたもずいぶん違うので、参加者の方はとまどってしまうんじゃないか?と思われそうですが、この日は全くそんな心配はいりませんでした。
今日はちょっと朗読のことを書こうと思います。
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朗読にもいろいろな考え方があります。「朗読は、淡々と読むのがいいんだよ」という指導者もいれば、「朗読はとにかくまずは正しいアクセント・イントネーションを学ばなければいけない。“表現する”なんてのはその後」という指導者の方もいるようです。
僕は、音楽にクラシックやジャズ、ロック、ソウルなどがあるように、朗読にもいろいろな朗読があっていいと思っています。僕がやっているのは、ジャズ音楽に近いかもしれません。
しかし朗読界(というものがあるかどうかはわかりませんが)では、どうも「正しい朗読」というものが存在していて、それ以外は「邪道」のような風潮がある気がします。
これまで朗読の講座やワークショップなどで、僕は必ず「いい朗読ってどんな朗読でしょう?」というディスカッションをしてきました。すると、
・聴いていると、物語に思わず惹きこまれてしまう。
・物語の登場人物の気持ちが伝わってくる。
・声が素敵。
・朗読している人の“テンポ”や“間”に説得力がある。
などといった回答をいただきます。そこに「正しいアクセントの朗読」という答えはあまり聞きません。
これは僕の考えですが、「朗読」というものに関していえば、あえて言うと僕は「正しいアクセント」は必ずしも必要じゃないと思っています。「標準語で書かれた本を、東北訛りで朗読する。」こんな素敵なことがあってもいいじゃないかと思います。東北訛りのほうが、場合によっては不思議な味わいがあるかもしれません。
クラシック音楽に“クセ”があってはいけないように、「クラシックな朗読」には“クセ”があってはいけないのかもしれません。しかし、ジャズやロックのシンガーは逆に、その“クセ”が“個性”となることがあります。朗読にも、方言や場合によっては“クセ”までもが、“個性”となって聞こえることもあるのです。
上に書いた、「いい朗読」のディスカッションから、僕は「いい朗読」は次の二つのテーマを高い次元でクリアしている朗読だと考えています。二つのテーマとは、
・テキストを豊かに伝える。
・朗読者が魅力的である。
この二つのテーマをどれくらい高いレベルでクリアしているか、それが「いい朗読」の条件だと思います。“クセ”や“方言”が、この2つのテーマを“補完”しているのであれば、直す必要はないのではないでしょうか?
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さて、話は戻って先日の「読みフェス」、結果的にとても楽しいイベントになりました。
上に書いたようなことを松本さんと話し合ったことはないし、松本さんには「俺、そんなこと考えてないよ。」と言われるかもしれませんが、ともかくこの日は僕の体験講座と松本さんの講座がとてもいい「かけ算」になった気がします。
朗読について、またそのうち書きたいと思います。