その発想はなかった! 新しい信仰
こんばんは、運命学カウンセラー沙璃(さり)です。
おかねおかねおかね~、おかね~を~ため~ると~♪
※「さかなさかなさかな~、さかな~を~たべ~ると~」
のミュージックに合わせて歌ってくださいね(^^
みんなが大好き、お金の話★
私も、金運に関するお話はいくつか
させていただきました。
リアルな体験型から、おまじない系まで
いろいろとお話しました。
で、断然ウケがいいのが
おまじない系です
おまじない系の共通点は
地道な努力は必要ない
というところです。
ですよね~。
ですよね~~~。
やっぱり、努力なく、リスクを取らず
損をせず、おいしいとこ取りしたい
というのが人の常なんですよね~(笑)
私も、楽して一攫千金、という言葉に
乗っかって、ヤバいビジネスに乗っかりそうに
なったこともありましてね(苦笑)
だけどですね
ここで、今度は「努力」という言葉が
クセモノになったりもするんですよね。
努力さえすれば、お金持ちになれる
という発想。
そこから、方向違いの努力をして
疲れ果てて終わる、というケース。
これも多いですね。
いろいろなケースを垣間見てきた
中で、はっきりしたことがあります。
唯一の答えとか、王道はない。
その人にあった、金運UP法がそれぞれ違う。
という結論です。
いわゆる、おまじない系に関してでも
もう、自分の全人生をかける勢いで
愚直に信じて行動し続けていると
びっくりするような金運をつかむ人もいます。
大事なポイントは、どうやら
バランス
みたいです。
お金に関する本は、たくさんありますが
この本の著者である碇のりこさんは
このバランスがとてもきれいなんですよね。
お会いして、いつも思うのですが
惜しみなく与えるだけでなく
とにかく、喜び上手、感謝上手なんですね♪
たとえば
「沙璃さん、え~、それ、うれしいんですけど。
うれしすぎます~~~~」
というようなことを、惜しみなく言ってくださるのです。
そんな碇のりこさんが、このご著書で
とても堅実なお話をされています。
それが、お金の収支をしっかり見つめること。
これは、地図で言うと、現在自分は
どこにいるのかを知ること。
そうすることで、行きたい場所まで
どうしればたどり着けるのかがはっきりします。
碇のりこさんは、目に見えない世界を
大切になさっていますし、信仰も深いです。
(宗教美術にもお詳しい!)
そして、同じくらい現実的で具体的な
ことも大切にしていらっしゃるのですね。
確実に、堅実に、そして揺るぎない金運UPを
されたい方、ぜひともこのご著書から学ばれてください♪
ざっくざくに金運UPされること、間違いなしです★
はじけるPark 信仰
3月14日(木)、神社巡りを始めてから2度めの参拝となる千代田区の神社へ向かいました
神社巡りの記念すべき一社め、
2017年5月23日に訪れ、5月25日にブログ初投稿した、私にとってデビューの神社です
JR中央線、総武線・御茶ノ水駅(聖橋口)、東京メトロ丸ノ内線・御茶ノ水駅(1番出口)より徒歩5分、
東京メトロ千代田線・新御茶ノ水駅(B1出口)より徒歩5分の、
神田明神(神田神社)です
参道入口の鳥居。
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鳥居の神額と社号碑。
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鳥居をくぐり、参道を上って行きます
昭和天皇御即位50年の記念事業として新たに再建されました。
総檜造り・二層建てです。豪華~
隨神門の神額。鳥居の神額と同じ書体ですね。
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社号提灯🏮の屋根も豪華です。
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手水舎
約2年前に訪れた時は隨神門の中にあったけれど、外にありました。
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水盤。龍が吐水しています
柄杓が15本も
お正月など参拝者が多い時のためか、さらに両サイドにも予備の水盤がありました。
隨神門の右手の門。桜がキレイ
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隨神門の内側にも美しい装飾
外側には四神(朱雀・白虎・青龍・玄武)や、「因幡の白兎」をモチーフにした彫刻もありました。
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拝殿前の
狛犬さん
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昭和8年に氏子有志により奉献されました。たまに見ますが、正面を向いている狛犬さんです。
青空が似合う
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社伝によると、天平2年(730年)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村(現在の千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。
その後、平将門公を葬った墳墓(将門塚)周辺で天変地異が頻発し、将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が御霊をお慰めして、延慶2年(1309年)に御祭神としてお祀りしました。
戦国時代には、太田道灌や北条氏綱などの武将によって手厚く崇敬され、
江戸幕府が開かれると、幕府の尊崇する神社となり、元和2年(1616年)に江戸城の表鬼門の位置にあたる現在の地に遷座し、幕府により社殿が造営されました。
以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府はもちろん江戸庶民にいたるまで多くの人々の篤い崇敬を受けました。
お賽銭箱の紋は、三つ巴に似てるけど
勾玉の頭の部分がない「水巴 」です。
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千代田区の有形民俗文化財に指定されている鉄製の天水桶。
こちらの紋は「左三つ巴」。
御祭神
【一の宮】
大己貴命 おおなむちのみこと
別名 大国主命 おおくにぬしのみこと
(だいこく様)
【二
の宮】
少彦名命 すくなひこなのみこと
(えびす様)
【三の宮】
平将門命 たいらのまさかどのみこと
(まさかど様)
ご利益
家庭円満、夫婦和合、縁結び、商売繁昌、病気平癒、除災厄除、開運招福
昭和9年に竣工した、当時としては画期的な鉄筋コンクリート・総朱漆塗の、権現造の社殿です。
平成15年、国登録有形文化財に登録されています。
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狛犬さん、鼻の穴を広げて、フワ~ってあくびしてるように見えちゃう
明治に入って社名を「神田明神」から「神田神社」に改称し、准勅祭社、東京府社に定められ、東京の守護神と仰がれました。
明治7年には、明治天皇が御参拝になり御幣物を献じられました。
明治7年、茨城県の「大洗磯前神社」より少彦名命をお迎えしました。
平将門命は同年に一時、摂社・将門神社に遷座しますが、昭和59年に三の宮御祭神に復座されました。
拝殿前の狛犬さんとは別に、拝殿の右手に獅子山があります。
石獅子は名工石切藤兵衛が生涯で3つしか造らなかった中の1つと伝えられ、「坂東三獅子」として有名だそう。
かつては参道の両脇にありましたが、関東大震災により崩壊し子獅子を紛失。
今上天皇陛下ご即位を奉祝して子獅子を新調し、新たに「獅子山」として建立されたとのことです。
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なるほど
だから子獅子だけ新しいのですね
拝殿の左手には
神馬 「御幸号(みゆきごう)」がいました。愛称・
あかりちゃん
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ちょっと狭くて窮屈そうでした。
約2年前の神社巡り初心者🔰の私は、境内社があることも、っていうか境内社っていう存在自体もたぶん知らなかったですが
今回はちゃんと見て来ました
社殿の裏にこんなに境内社があったなんて~
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拝殿の左手手前から。
拝殿前の
狛犬さん
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右の狛犬の台座にある模様は、紋なのかな
素敵な模様
日本橋に魚市場があった頃に、徳川家の武運長久と大漁安全を祈願するため市場の守護神・「大市場交易神」として神田明神境内に祀られました。
明治24年に社名を「魚河岸水神社」と改め、日本橋魚市場の守護神として崇敬されています。
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天水桶には、「魚」っぽい文字が入っています。
ご本殿。
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青海波模様の柵が素敵です
その右に、小舟町八雲神社。
御祭神
建速須佐之男命
たけはやすさのおのみこと
狛犬さん
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さらにその右手に、江戸神社。
御祭神
建速須佐之男命
たけはやすさのおのみこと
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大宝2年(702年)に現在の皇居内に創建された江戸最古の地主神です。
関東の武将たちに信仰され、江戸時代には南伝馬町の人々により信仰されたことから「南伝馬町持天王」「天王一の宮」などと呼ばれたそうです。
明治元年に神社名を
「須賀神社」に改め、明治18年「江戸神社」に再度改めました。
平成元年に神輿庫を改修して千貫神輿を奉安し、社殿として正式に鎮座し現在に至ります。
その向かい側、社殿と連結して、
祭祀殿・資料館。
2階に神田祭に関する資料を展示。3階には神宝を展示。1階に祭祀殿があります。
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社殿の裏側へ回って、
鳳輦・神輿奉安殿。
神田祭で、大己貴命がお乗りになる
「一の宮鳳輦」、少彦名命がお乗りになる
「二の宮神輿」 、
「神田明神大神輿」を奉安しています
その左手、境内のいちばん左奥の位置に浦安稲荷神社🦊
御祭神
宇迦之御魂神 うかのみたまのかみ
鳳輦・神輿奉安殿を挟んで、
社殿の裏側にも境内社が並びます。
合祀殿です。
末社・三宿稲荷神社🦊
御祭神
宇迦之御魂神 うかのみたまのかみ
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末社・金刀比羅神社。
御祭神
大物主命 おおものぬしのかみ
金山彦命 かなやまひこのみこと
天御中主命 あめのみなかぬしのみこと
かつては隅田川の船人たちの守護神として信仰されていました
水盤の紋は、
「福包」紋かな
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こちらは、先ほどの浦安稲荷神社の水盤です。
キッチンのシンクみたい
高さがあって使いやすいけど。
合祀殿の右手に、末廣稲荷神社🦊
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御祭神
宇迦之御魂神 うかのみたまのかみ
宇迦之御魂神・級長戸辺之命、・級長津彦之命を祀っていた旧社で、現社殿は昭和41年に再建されました。
社殿前の神狐さん🦊
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逆光でわかりませんが、赤い鳥居だったと思います。たぶん…
その右に、
三の宮鳳輦奉安殿(写真左)と、氏子中の神輿約50基が納められている氏子神輿庫(写真右)。
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境内のいちばん右手奥に、祖霊社。
神田明神を尊崇された氏子・崇敬者の先祖をお祀りするお社です。
平成16年に創建されました。
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その左に、合祀殿。
籠祖神社
猿田彦神・塩土老翁神( しおつちおじのかみ)
他、関東大震災や戦災で社殿を焼失し、神田明神本殿に合祀されていた以下6社をお祀りしています。
八幡神社 誉田別命
富士神社 木花咲耶姫命
天神社 菅原道真命・柿本人麻呂命
大鳥神社 日本武尊
天祖神社 天照大御神
諏訪神社 建御名方神
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約2年ぶりに訪れたら、境内が変わっていて驚きました
右手に見える立派な施設は、文化交流館です。平成30年12月オープン、比較的出来たばかりです。
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華やかな神楽殿です。神田明神は全て赤が基調ですね
文化交流館の前にあるのが、
だいこく様尊像。
昭和51年完成。高さ6.6m・重さ約30tで石造りとしては日本一のだいこく像だそうです。
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文化交流館の前を左手
へ行くと、
えびす様尊像もあります。
二の宮のご祭神『えびす様』(少彦名命)は、神話では木の実を舟にして海の彼方にある常世から来訪された小さな神様と伝えられています。
東京芸大学長・宮田亮平氏の作で、神様からの恵みを掌に乗せて届ける姿を表現しているそうです
隨神門をくぐって右手に、さざれ石。
永久の団結と繁栄の象徴です。
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その隣りに、大公孫樹(大銀杏)。
江戸の昔よりこの地に育った由緒ある樹木で、関東大震災により神社の施設がことごとく炎上し崩壊した中、唯一残されました。
だいこく様の像の前には、百度石もありました。
外国人の参拝者は、百度石自体にお参りしちゃってるのか、お金がいっぱい置いてありました
魚河岸水神社の左の細い通路を入ると、神田の家があります。
遠藤家旧店舗・住宅主屋(屋号「井政」)。
江戸の職人の技が極められた貴重な建築物で、千代田区指定有形文化財です。
この日は閉まっていましたが、カフェになっているようでした
要チェック✔️
いいお天気です
拝殿越しにスカイツリーも見えました。
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文化交流館の1階がお土産屋さんのようになっていて、そこに人が集中しているおかげで境内は比較的すいていました
リニューアルオープン記念のフリーペーパーもありました。
パンフレットは、日本語版と英語版のがあると、対訳が勉強になるので必ず両方もらうようにしています。
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御朱印も、文化交流館の中でいただけます。
以前とは違うものになっていました。
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見開きのページを開いてください、と言われます。
2017年5月のデビュー記事の時には、
隨神門と拝殿の写真を2枚くらい撮って
、御朱印載せて、はい終わり
って感じでした
記念に残してはありますが…恥ずかしいので見なくていいですよ。ホントに
神田明神は、縁結びや病気平癒のご利益もありますが、商売繁盛の印象が強い神社ですよね
お正月1月4日に、会社のみんなで行くようなイメージがあります
おまけ
久しぶりに近隣のグルメのご紹介です
神田明神のすぐ近く、「湯島聖堂前」の信号🚥のところにある
「細打うどん 竹や」🍜
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内装はモダン。「竹」のロゴが可愛い
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私がいただいたのはこちら。
「海老天おろし」
温・冷が選べます。温にしました。
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大きめの海老の天ぷらが5つも乗ってます
温かいおうどんで大根おろしって、どんな感じ❔と思っていたら、おろしは海苔の上に乗ってるので、つゆに溶けず少しずつ食べられるのです。
うどんもツルっツルののど越しで、それよりも何よりもお出汁が美味しい
他にも気になるメニューがいっぱいあったし、ここはリピート確実
おすすめですよ~
次回は、西武池袋線沿線の神社巡りです
もっと自然へ、もっと人へ、信仰とともに
新京極、御朱印巡りも今回で最後です
誠心院の次は誓願寺へ
誓願寺 【せいがんじ】
誓願寺は飛鳥時代、天智天皇6年(667)、天皇の勅願により創建されました。
もともとは奈良にあったのですが、鎌倉初期に京都の一条小川(現在の上京区元誓願寺通小川西入る)に移転し、その後、天正19年(1591)に豊臣秀吉の寺町整備に際して現在の三条寺町の地に移されました。
山門
左の石碑には…写ってないけど…
迷子のみちしるべ
迷子のみちしるべは、行方不明になった子どもや落とし物を探すための石柱があるんです
奇縁氷人石とも呼ばれており、迷子や落とし物を探す人と迷子を保護したり物を拾ったりした人がこの石柱に張り紙を貼り、情報交換をしたんやって
前に大きな顔出しパネルがありますなぁ
やりたかったんやけど…
手水舎
めちゃカッコいい龍
手水鉢もお洒落やった
本堂
昭和39年(1964年)に建造されたものといわれており、見た目にもめちゃ新しい
造りも普通に見られる寺院の本堂とは異なっており、鉄筋コンクリート造りで、かなりモダンな感じやぁ
圓光大師霊場第二十番 誓願寺の碑がカッコよくないですかぁ〰️
御本尊
阿弥陀如来
禁門の変でお堂のみならずご本尊も火災で失ってしまった誓願寺ですが…
すぐに復興へと動き出します
その一環で石清水八幡宮からやってきたのが現在の阿弥陀様なんやって
仏さまの実寸大とされる一丈六尺(4.85m、坐像は半分の2.4mほど)よ
も少し大きい2.75mの坐像で見た目のインパクト大やぁ
体が光っているので金属製に見えますが木製なんやでぇ
幾度も塗り重ねられた漆で表面は覆われていて、その作成方法や彫りの特徴から鎌倉時代から南北朝時代あたりの作ではないかと推測されています
様々な逸話が残る
誓願寺なんやって
女人往生についても…
誓願寺は平安時代に有名な女性作家、清少納言、和泉式部、豊臣秀吉の側室・松の丸殿が往生した寺院とされています
清少納言は『枕草子』、和泉式部は『和泉式部日記』を書いた女人ですよね
和泉式部は娘の死を嘆き、当寺に48日間籠って念仏を唱えたところ、「念仏をとなえれば女人の往生疑いなし」とのお告げがあったとか
そこで、和泉式部は尼となって庵を結びました
今もその庵は「誠心院」として新京極に現存していますよね
松の丸殿は本名を京極竜子といい、武田元明の妻でした
しかし、夫が本能寺の変の首謀者とされる明智光秀に加担したため秀吉に処刑されてしまいます
その後松の丸殿はその美しさを秀吉に気に入られ、側室として迎え入れられました
秀吉には20人以上の側室がいましたが、中でも絶世の美女だったそうです
鐘楼
周りのお寺の鐘は小さいのにここのは大きい
扇塚
誓願寺の五十五世住職策伝日快上人が所司代板倉重宗の求めに応じて『醒酔笑(せいすいしょう)』を著したといわれており、これが落語を書いた本の先駆として高く評価されているようです
これに因み、策伝日快上人にゆかりの深い扇の塚が建てられたとされ、芸道に励む人は日常使っていた自分の扇をこの塚に納め芸道精進を祈願するんやって
京都市中京区新京極通三条下る桜之町453
矢田寺 【やたでら】
白鳳4(700)年に天武・持統両天皇の勅願所として、奈良・大和郡山市にある矢田寺の別院として、建立されました。
もともとは壬生にありましたが、安土桃山時代の豊臣秀吉による区画整理で、本能寺も同じ時期に三条河原町に移されました
めちゃカッコいい入口
山門でいいんかな…
本堂
御本尊
地蔵菩薩
ここは光仁7(816)年に日本で初めてつくられたとされる地蔵菩薩がご本尊のお寺なんです
このお地蔵様は代受苦(だいじゅく)地蔵と呼ばれ、人々の苦しみを代わってくださるといわれていますよ
なぜ、このお地蔵様が苦しみを代わってくれるのかと…
閻魔大王といえば、死者の魂を天国に行くか地獄に行くかを決める裁判官やね
平安時代、この閻魔大王は矢田寺の住職だった満米(まんまい)上人から菩薩戒(ぼさつかい:菩薩が受持する戒)を受けました
その時、上人は閻魔大王に「地獄を見せてください」と頼みます
上人が閻魔大王から地獄を見せてもらった際、炎が煮えたぎる鉄釜の中に一人の僧侶がいることに気がつきます
よく見ると、僧侶は鉄釜の中にいる人を助けているのです
もちろん、鉄釜に入っている人間は現世で罪を犯した罪人です
その姿に感銘を受けた上人は、その僧侶の姿を仏像に刻み、ここに安置したといわれているのです
一度お参りすると、10種の福を得、8大恐怖を取り除き、28種のご利益があるとされます
特に、縁結び、安産守護、学業成就、病気平癒、土地豊穣、家宅永安、子孫繁栄などの信仰があるそうですよ
本堂の真ん前に鐘が
送り鐘
お盆の時期、京都では、ご先祖様を迎えるために「迎え鐘」を行います
これは、ご先祖様の魂が間違わずに家族のもとへ帰って来られるよう、梵鐘を突く儀式とか
賓頭盧尊者
お釈迦様の弟子で十六羅漢の中の第一尊者で、
万病を治す法力があるといわれていますよね
しあわせ大日如来
開運厄除に御利益があると言われています
小さいお地蔵のお人形が…
日本でも珍しいお守りが、矢田寺で販売されているんです
それは、ぬいぐるみでできたお守り
このとても愛らしいお顔のぬいぐるみ守りは、なんとご住職夫婦の手づくりだそうです
なんでも20年前に大きなお地蔵様のぬいぐるみをつくったところ、近所の方をはじめ参拝客からもかわいいと評判となったため、小さなものをつくり、お守りとして販売するようになったんやって
良縁成就・安産祈願・無病息災などのご利益があり、若い女性がぬいぐるみ守りを求めて、全国から訪れるそうですよ
お守りは持ちかえって大切に保管するもよし、願い事を書いて奉納するもよしとか
京都市中京区寺町通三条上る天性寺前町523
錦市場の通りにめちゃ人集りが…
カリカリ博士 錦市場店
6個で200円と京都のど真ん中にもかかわらず、この値段設定は凄くないですかぁ
お店の会員になると更に6個で200円が140円になります
たこ焼きは店の名前のようにカリカリ感は全くなかった
僕の中ではカリカリと言えば・・・築地銀だこなんだけど・・
でもカリッとはしてなくてゴワっと食感でしたが、中身はトロトロでソースも美味しくて値段以上の満足感があるわぁ
河原町駅から390m
京都府京都市中京区錦小路柳馬場東入東魚家町185-6