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3月14日(木)、神社巡りを始めてから2度めの参拝となる千代田区の神社へ向かいました
神社巡りの記念すべき一社め、
2017年5月23日に訪れ、5月25日にブログ初投稿した、私にとってデビューの神社です
JR中央線、総武線・御茶ノ水駅(聖橋口)、東京メトロ丸ノ内線・御茶ノ水駅(1番出口)より徒歩5分、
東京メトロ千代田線・新御茶ノ水駅(B1出口)より徒歩5分の、
神田明神(神田神社)です
参道入口の鳥居。
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鳥居の神額と社号碑。
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鳥居をくぐり、参道を上って行きます
昭和天皇御即位50年の記念事業として新たに再建されました。
総檜造り・二層建てです。豪華~
隨神門の神額。鳥居の神額と同じ書体ですね。
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社号提灯🏮の屋根も豪華です。
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手水舎
約2年前に訪れた時は隨神門の中にあったけれど、外にありました。
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水盤。龍が吐水しています
柄杓が15本も
お正月など参拝者が多い時のためか、さらに両サイドにも予備の水盤がありました。
隨神門の右手の門。桜がキレイ
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隨神門の内側にも美しい装飾
外側には四神(朱雀・白虎・青龍・玄武)や、「因幡の白兎」をモチーフにした彫刻もありました。
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拝殿前の
狛犬さん
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昭和8年に氏子有志により奉献されました。たまに見ますが、正面を向いている狛犬さんです。
青空が似合う
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社伝によると、天平2年(730年)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村(現在の千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。
その後、平将門公を葬った墳墓(将門塚)周辺で天変地異が頻発し、将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が御霊をお慰めして、延慶2年(1309年)に御祭神としてお祀りしました。
戦国時代には、太田道灌や北条氏綱などの武将によって手厚く崇敬され、
江戸幕府が開かれると、幕府の尊崇する神社となり、元和2年(1616年)に江戸城の表鬼門の位置にあたる現在の地に遷座し、幕府により社殿が造営されました。
以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府はもちろん江戸庶民にいたるまで多くの人々の篤い崇敬を受けました。
お賽銭箱の紋は、三つ巴に似てるけど
勾玉の頭の部分がない「水巴 」です。
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千代田区の有形民俗文化財に指定されている鉄製の天水桶。
こちらの紋は「左三つ巴」。
御祭神
【一の宮】
大己貴命 おおなむちのみこと
別名 大国主命 おおくにぬしのみこと
(だいこく様)
【二
の宮】
少彦名命 すくなひこなのみこと
(えびす様)
【三の宮】
平将門命 たいらのまさかどのみこと
(まさかど様)
ご利益
家庭円満、夫婦和合、縁結び、商売繁昌、病気平癒、除災厄除、開運招福
昭和9年に竣工した、当時としては画期的な鉄筋コンクリート・総朱漆塗の、権現造の社殿です。
平成15年、国登録有形文化財に登録されています。
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狛犬さん、鼻の穴を広げて、フワ~ってあくびしてるように見えちゃう
明治に入って社名を「神田明神」から「神田神社」に改称し、准勅祭社、東京府社に定められ、東京の守護神と仰がれました。
明治7年には、明治天皇が御参拝になり御幣物を献じられました。
明治7年、茨城県の「大洗磯前神社」より少彦名命をお迎えしました。
平将門命は同年に一時、摂社・将門神社に遷座しますが、昭和59年に三の宮御祭神に復座されました。
拝殿前の狛犬さんとは別に、拝殿の右手に獅子山があります。
石獅子は名工石切藤兵衛が生涯で3つしか造らなかった中の1つと伝えられ、「坂東三獅子」として有名だそう。
かつては参道の両脇にありましたが、関東大震災により崩壊し子獅子を紛失。
今上天皇陛下ご即位を奉祝して子獅子を新調し、新たに「獅子山」として建立されたとのことです。
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なるほど
だから子獅子だけ新しいのですね
拝殿の左手には
神馬 「御幸号(みゆきごう)」がいました。愛称・
あかりちゃん
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ちょっと狭くて窮屈そうでした。
約2年前の神社巡り初心者🔰の私は、境内社があることも、っていうか境内社っていう存在自体もたぶん知らなかったですが
今回はちゃんと見て来ました
社殿の裏にこんなに境内社があったなんて~
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拝殿の左手手前から。
拝殿前の
狛犬さん
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右の狛犬の台座にある模様は、紋なのかな
素敵な模様
日本橋に魚市場があった頃に、徳川家の武運長久と大漁安全を祈願するため市場の守護神・「大市場交易神」として神田明神境内に祀られました。
明治24年に社名を「魚河岸水神社」と改め、日本橋魚市場の守護神として崇敬されています。
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天水桶には、「魚」っぽい文字が入っています。
ご本殿。
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青海波模様の柵が素敵です
その右に、小舟町八雲神社。
御祭神
建速須佐之男命
たけはやすさのおのみこと
狛犬さん
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さらにその右手に、江戸神社。
御祭神
建速須佐之男命
たけはやすさのおのみこと
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大宝2年(702年)に現在の皇居内に創建された江戸最古の地主神です。
関東の武将たちに信仰され、江戸時代には南伝馬町の人々により信仰されたことから「南伝馬町持天王」「天王一の宮」などと呼ばれたそうです。
明治元年に神社名を
「須賀神社」に改め、明治18年「江戸神社」に再度改めました。
平成元年に神輿庫を改修して千貫神輿を奉安し、社殿として正式に鎮座し現在に至ります。
その向かい側、社殿と連結して、
祭祀殿・資料館。
2階に神田祭に関する資料を展示。3階には神宝を展示。1階に祭祀殿があります。
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社殿の裏側へ回って、
鳳輦・神輿奉安殿。
神田祭で、大己貴命がお乗りになる
「一の宮鳳輦」、少彦名命がお乗りになる
「二の宮神輿」 、
「神田明神大神輿」を奉安しています
その左手、境内のいちばん左奥の位置に浦安稲荷神社🦊
御祭神
宇迦之御魂神 うかのみたまのかみ
鳳輦・神輿奉安殿を挟んで、
社殿の裏側にも境内社が並びます。
合祀殿です。
末社・三宿稲荷神社🦊
御祭神
宇迦之御魂神 うかのみたまのかみ
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末社・金刀比羅神社。
御祭神
大物主命 おおものぬしのかみ
金山彦命 かなやまひこのみこと
天御中主命 あめのみなかぬしのみこと
かつては隅田川の船人たちの守護神として信仰されていました
水盤の紋は、
「福包」紋かな
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こちらは、先ほどの浦安稲荷神社の水盤です。
キッチンのシンクみたい
高さがあって使いやすいけど。
合祀殿の右手に、末廣稲荷神社🦊
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御祭神
宇迦之御魂神 うかのみたまのかみ
宇迦之御魂神・級長戸辺之命、・級長津彦之命を祀っていた旧社で、現社殿は昭和41年に再建されました。
社殿前の神狐さん🦊
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逆光でわかりませんが、赤い鳥居だったと思います。たぶん…
その右に、
三の宮鳳輦奉安殿(写真左)と、氏子中の神輿約50基が納められている氏子神輿庫(写真右)。
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境内のいちばん右手奥に、祖霊社。
神田明神を尊崇された氏子・崇敬者の先祖をお祀りするお社です。
平成16年に創建されました。
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その左に、合祀殿。
籠祖神社
猿田彦神・塩土老翁神( しおつちおじのかみ)
他、関東大震災や戦災で社殿を焼失し、神田明神本殿に合祀されていた以下6社をお祀りしています。
八幡神社 誉田別命
富士神社 木花咲耶姫命
天神社 菅原道真命・柿本人麻呂命
大鳥神社 日本武尊
天祖神社 天照大御神
諏訪神社 建御名方神
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約2年ぶりに訪れたら、境内が変わっていて驚きました
右手に見える立派な施設は、文化交流館です。平成30年12月オープン、比較的出来たばかりです。
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華やかな神楽殿です。神田明神は全て赤が基調ですね
文化交流館の前にあるのが、
だいこく様尊像。
昭和51年完成。高さ6.6m・重さ約30tで石造りとしては日本一のだいこく像だそうです。
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文化交流館の前を左手
へ行くと、
えびす様尊像もあります。
二の宮のご祭神『えびす様』(少彦名命)は、神話では木の実を舟にして海の彼方にある常世から来訪された小さな神様と伝えられています。
東京芸大学長・宮田亮平氏の作で、神様からの恵みを掌に乗せて届ける姿を表現しているそうです
隨神門をくぐって右手に、さざれ石。
永久の団結と繁栄の象徴です。
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その隣りに、大公孫樹(大銀杏)。
江戸の昔よりこの地に育った由緒ある樹木で、関東大震災により神社の施設がことごとく炎上し崩壊した中、唯一残されました。
だいこく様の像の前には、百度石もありました。
外国人の参拝者は、百度石自体にお参りしちゃってるのか、お金がいっぱい置いてありました
魚河岸水神社の左の細い通路を入ると、神田の家があります。
遠藤家旧店舗・住宅主屋(屋号「井政」)。
江戸の職人の技が極められた貴重な建築物で、千代田区指定有形文化財です。
この日は閉まっていましたが、カフェになっているようでした
要チェック✔️
いいお天気です
拝殿越しにスカイツリーも見えました。
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文化交流館の1階がお土産屋さんのようになっていて、そこに人が集中しているおかげで境内は比較的すいていました
リニューアルオープン記念のフリーペーパーもありました。
パンフレットは、日本語版と英語版のがあると、対訳が勉強になるので必ず両方もらうようにしています。
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御朱印も、文化交流館の中でいただけます。
以前とは違うものになっていました。
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見開きのページを開いてください、と言われます。
2017年5月のデビュー記事の時には、
隨神門と拝殿の写真を2枚くらい撮って
、御朱印載せて、はい終わり
って感じでした
記念に残してはありますが…恥ずかしいので見なくていいですよ。ホントに
神田明神は、縁結びや病気平癒のご利益もありますが、商売繁盛の印象が強い神社ですよね
お正月1月4日に、会社のみんなで行くようなイメージがあります
おまけ
久しぶりに近隣のグルメのご紹介です
神田明神のすぐ近く、「湯島聖堂前」の信号🚥のところにある
「細打うどん 竹や」🍜
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内装はモダン。「竹」のロゴが可愛い
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私がいただいたのはこちら。
「海老天おろし」
温・冷が選べます。温にしました。
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大きめの海老の天ぷらが5つも乗ってます
温かいおうどんで大根おろしって、どんな感じ❔と思っていたら、おろしは海苔の上に乗ってるので、つゆに溶けず少しずつ食べられるのです。
うどんもツルっツルののど越しで、それよりも何よりもお出汁が美味しい
他にも気になるメニューがいっぱいあったし、ここはリピート確実
おすすめですよ~
次回は、西武池袋線沿線の神社巡りです
やっぱり信仰が欲しい!
金沢母娘女子旅⑤
和菓子作り体験のあとは
心休まる場所へ
どちらも本当に良かったので
オススメです
長町武家屋敷跡
唯一公開されている野村家を訪れました
野村家のお庭は、
アメリカの庭園専門誌の
日本庭園ランキングで
3位に選ばれたこともあるそうです
いつまでも飽きずに眺めていられる
そんなお庭でした
上段の間
檜作りの格天井、釘隠しもすてき
襖は狩野派による山水画
長町武家屋敷跡界隈は
江戸時代の雰囲気が色濃く残っていて
茶屋街のような花街とはまた違います
外的の侵入を防ぐために
袋小路などが作られ、
細く、曲がり角の多い道がたくさん
そして、このすぐ近くに
本当に美しい
カトリック教会があるんです
金沢聖霊病院聖堂
金沢市の指定文化財
1931年に建てられた
ロマネスク様式の教会です
見学はできますが、
このときはわたしたちだけ
ブルーで縁取られたアーチや
バラ窓のステンドグラスが美しく
信仰の場ですから
自然と厳かな気持ちになります
こちらの柱は黒漆塗なのです
アーチも群青と金が使用されており
金沢らしいものでした
一部畳となっているのは
古い教会ならではですね
このあと、もうひとつ
心が休まる空間へ向かいます
鈴木大拙館
金沢出身の仏教哲学者
鈴木大拙の思想に出会う場として
作られたミュージアムです
展示はシンプル
思索するための空間が
多く用意されています
おそらく池の仕掛け?
ときおり静かな水面に波が立ち
その水紋と、風と、木々と
哲学的なことは何もわかりませんが
自分と向き合うことのできる
そんな場所と感じました
旅の2日目午後はこんなふうに
心穏やかに過ぎていく
夕食は
Da TAKE(ダ・タケ)にてイタリアン
もう少しだけ、続きます
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