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(この記事は2015年4月に投稿した、過去記事です)
弥生屋がブログを始めた真意は、一人でも多くの方に「遊廓の歴史」を
知って頂くこと・・・。o(^▽^)o
そんな「志」を持ちながら、ブログを初めて2年以上の時が流れて、ここで
もう一度皆様に「遊廓史」の基礎知識を開陳致したく、この記事を投稿
させて頂きました。教科書には載せられない「闇の歴史」でありながら、
私たち日本人が歩んで来た、この事実を心の隅にでも留めて頂ければ、
幸いです。(^-^)/
「遊廓史」は決して難しい歴史ではありません。
むしろ「悲劇的な遊女の人生」の中にある妖艶で華やかな世界に魅了され
る・・・、そんな哀しくも不思議な世界でもあるのです。(*^▽^*)
こうゆうテーマながら、男性読者のみならず、多くの女性読者の方たちにも
御訪問頂いている事・・・、大変嬉しく思います。о(ж>▽<)y ☆
様々な歴史風俗、取り分け「遊廓」また、「遊女」の歴史について、語らせて
頂き、毎日多くの訪問者の方々にその記事を読んで頂ける事、弥生屋、深く
感謝感激している次第であります。
遊廓といえば、すぐに思い浮かぶのは、かつて江戸から明治・大正、そして
昭和に至る迄、350年以上の歴史を刻んだ、「吉原遊郭」ではないかと思い
ます。
多くの映画やドラマなどで、その舞台となった「吉原遊郭」。
最盛期だった江戸中期から幕末にかけては、3000人もの遊女が夜の吉原
を彩っていたと言われています。
吉原を舞台に、様々な名場面、そして遊女を演じられた女優さんたちが
いましたね~。(^-^)
ドラマ「JIN~仁~」より
花魁・野風を演じた、中谷美紀さん。
映画「さくらん」より
花魁「日暮」を演じた、土屋アンナさん。
映画「花宵道中」より
花魁「朝霧」を演じた、安達祐実さん。
ドラマ「吉原裏同心」より
太夫「薄墨」を演じた、野々すみ花さん。
ドラマ「JIN~仁~」より
遊女・「初音」を演じた、水沢エレナさん。
など、それぞれ個性的で美しい遊女を演じてこられた、女優さんたち。
皆さん、本当にお美しいですね。(*⌒∇⌒*)
これら多くの女優さんたちが、演技の中で話していた言葉が、当時遊廓にいた
遊女が使っていた、「廓詞」(くるわことば)と言われる、遊廓独特の隠語、
遊廓詞です。
この「廓詞」は他にも「里詞」(さとことば)や、「花魁詞」(おいらんことば)等
とも呼ばれて、そもそもの目的は、田舎の貧村から江戸へ売られて来た少女
たちの訛や方言を隠す為のもの。
ドラマや映画で、遊女を演じた女優さんたちがセリフの中で、
「あちきは~」や、「~でありんす」
などという言葉を使われていましたよね。
これが「廓詞」(くるわことば)と呼ばれるもので、実際、ああいった言い回しで
遊女たちは話していたのではないかと思われますが、江戸当時、現代では
使われない、「~候」(~そうろう)や、「~でござりんす」などといった言葉も
日常的に遊女たちは使っていたのではないかと思われます。
今回、記事の中で、当時「遊廓」で使われていた「廓用語」を幾つか御紹介。
俗世間から隔離された、「遊廓」という世界の隠語を是非楽しみながら、少し
でも覚えて頂けたらと思います。(-^□^-)
詞(ことば)
「さいでありんすか?あちきにはとんと
身に覚えのないことでありんす」
(そうですか?私には全く身に覚えのない事です)
男女の痴情が日常的だった妓楼の世界。
「嘘と涙は遊女の華」などと呼ばれ、男客の前でさらりと「嘘」をつける事は
一人前の遊女の証。
本音を曝け出せるのは、本気で愛した男性の前だけだったようです。
あちき・わちき・わっち(自分は~・私は~)
ありんす・ござりんす(~です)
ござりんせん(~ではありません)
ござりんしょう(~でしょう)
いりんせん(~いりません)
なんし(~下さい)
しておくれなんし(~して下さい)
いたしんす・いたしんしょう(~しましょう)
おさらばえ(さようなら)
好かねえことを・・・(嫌な事を・意地悪な事を・・・)
主さん(あなた・あなたさん)
野暮(やぼ)センスのない男客。田舎者。
間夫(まぶ)いい男・本命の男
遊女たちは「里」(田舎)の方言・訛を男客の前では絶対に出さぬよう、廓詞を
徹底的に教え込まれたといいます。
他にも、幾つかの廓詞がありますが、主な言い回しは上記のようなもので
す。これらの詞を、いかに色っぽく、そして上品に言えるかが遊女たちには
要求された訳です。大変だったでしょうね。(;^_^A
隠し詞(廓用語)
忘八(亡八)ぼうはち(妓楼の主・主人の事)
遊女たちはこの主人の事を「親父様」と呼び、逆らう事は
出来なかった。唯一、意見が言えたのは、「呼出し」と呼ばれる楼店最高遊女の「花魁」「太夫」のみ。
ちなみに、「忘八」とは、人としての「八つ」の節度を忘れた
冷酷な野獣・けだものという意味。
花車(はなぐるま)
妓楼の女将の事。
「おっかさま」と呼ばれ、遊女たちにとっては、母代りであると同時に、怒らせれば折檻を行う、恐ろしい存在でもあった。
禿(かむろ)
遊廓に売られて来た、7・8歳の幼女から15.6歳の少女の
事。遊女となる為の教育を受ける為に、花魁や格子などの
上級遊女の身の回りの世話をした、遊女見習い・雑用係。
この禿の中でも、飛びぬけて美貌を持ったいわゆる「美少女」は、「突出し禿」と呼ばれ、上級遊女になる為の「英才教育」を受けた。数少ない、「花魁」候補でもあった。
浅黄裏(浅葱裏)あさぎうら
田舎から出てきた、地方武士の事。
浅黄裏とは、当時、田舎武士の多くが黄色の裏地の着物
を着ていた事から、そう嫌味で呼ばれるようになった。
吉原遊女たちにとっては、品のない非常に迷惑で嫌がられる客層だった。
文使い(たよりやどん)
吉原の大門(吉原遊郭の出入り口)から一歩も出る事を
許されない遊女たちが、江戸市中に住む馴染客などに宛てて書いた手紙を配達する、遊廓の男衆。
天紅(てんべに)
遊女が自分自身で書いた手紙に、恋しい気持ちを込めて、封代わりに口紅(キスマーク)をつける事。
文をもらった男客には非常に喜ばれる習慣であったという。
行水(生理)
痩毒(そうどく)(性病・梅毒)
四郎兵衛会所(しろべえかいしょ)
吉原遊郭内の自警団のような部署。
大門の前に詰所が置かれ、遊女の脱走防止。遊料の
踏み倒しや、楼店のトラブルなどの仲裁に当たった。
ちなみに、その正面には江戸町奉行所の番所があり、
殺人や窃盗などの犯罪捜査も行われていた。
足抜け(遊女が廓を脱走する事)
女之助(おんなのすけ)
遊女が脱走する為に、男に化ける事。また、その遊女の事。
足抜けや女之助といった行為は、吉原では重罪に当たり、
もし見付かれば、地獄のような残酷な折檻を受けた。
借金のかたに売られて来た遊女にとって、年季(借金返済
期間)を終わらずして廓を抜け出すことは、許されず、この
折檻によって死亡した遊女は数え切れない程いた。
それでも、廓暮らしに耐えきれず、足抜けを試みる遊女は
後を絶たなかったという。
鳥屋(とや)
痩毒に冒された遊女が、隔離された病牢。
鳥屋とは、痩毒にかかると、髪の毛が抜け落ちる事から、
鷹の羽落ちにちなんでそう呼ばれた。
この鳥屋を出ると、妊娠しにくい体になったとして、遊女として一人前だと認められたが、梅毒菌を根絶する事は、当時の医術では不可能で、梅毒で死亡した遊女は吉原遊郭の歴史の中で、数万人に達するものと思われる。
身請け(みうけ)
遊女の身を妓楼から買い取る事。
身請けの場合、遊女は年季が明けていなくとも、廓を出て、身請け者の元へと行く事が出来る。
身請け金は遊女の各(ランク)によって大差がある。
太夫・花魁クラスで、約1億。
以下、5000万~1000万程度。身請け者は豪商や武家人、商家の旦那衆など、それなりの地位と財力を持ったものでなければ、できない事であった。
ちなみに、吉原遊郭史上、最高身請け金額は6000両。
4億8000万円。三浦屋・太夫「7代目高尾」で、身請け者は
播磨藩姫路城主・榊原高岑公。
鑓手婆(やりてばあ)
遊女の教育・管理などを担当していた、元遊女。
年季が明けて吉原に残り、妓楼に雇われた、通称「鬼婆」。
元遊女でありながら、遊女たちにとっては「鬼」のように恐ろしい存在で、折檻や躾を日常的に行っていた。
吉原駕籠(よしわらかご)
吉原遊郭へと向かう、専用の駕籠。垂れ窓の無い駕籠で、現代で言えば黒いシールドの張られた、
車内の見えないタクシーのような物。
理由は、説明無しでもお分かりですよね。(^▽^;)
うら屋
吉原に出入りしていた、「易者」の事。
当時の遊女たちも、現代の女性と同じく「占い」が大好き
で、見世の格子の間から手を振り、「うら屋さん、ちょいと
占っておくんなんし」と、呼んでいたそう。
小見世・切見世(こみせ・きりみせ)
散茶・梅茶クラスの中級遊女から、局クラスの下級遊女
が客引きの為に座った、格子の付いた座敷。
最も安く遊べた、吉原下級店が並ぶ、エリア。
30歳前後の局女郎や、痩毒、肺病(結核)に冒された
遊女は数知れず。病気に当たると死ぬ事から、「鉄砲女郎」
と呼ばれる遊女も多くいた。
御大尽(おだいじん)
遊廓や妓楼で、豪遊する大金持ちの男客の事。
セレブ。豪商や上級武士。吉原で豪遊した有名御大尽は、
江戸材木商人・紀伊国屋文左衛門、奈良屋茂左衛門などがいる。
手練手管(てれんてくだ)
男客の心理を、言葉や性行為で虜にする遊女の誘惑
手法(テクニック)。一人前の遊女になる為には、この
手練手管は欠かせないものであった。
中条流(ちゅうじょうりゅう)
遊女にとって、避けては通れない「妊娠」。
1日最低5人の男客との性行為を義務付けられていた
吉原では、妊娠はかなり高い確率であった。
膣内に和紙を唾液で柔らかくして詰め込むなど、荒手の
避妊も行っていたが、それでも精子の流入は防げず、妊娠すれば、「中条流」の看板を掲げた、中絶専門の医者に
よって強引に堕児させられた。中条流の医師の多くはイメージとは違い、女性が多かったそうですが、そのやり方の
中には、「竹べら」で胎児を引っかき出すなど、現代では考えられないような、残酷な行為すら行われていた。
遊廓と言う空間は、当時は男たちにとっては「夢」の世界。
そこにいる遊女たちは、まさにファンタジーな天女のように映ったのかもしれ
ませんね。
悲惨な現実の中にいた遊女たちと、夢心地の男衆。
その不条理なギャップが、「遊廓」という不思議で華やかな世界を作りだして
いたのです。
まだまだ、吉原には多くの面白い詞や用語が沢山ありますが、今回
記事で書かせて頂いたものは、ほんの一部。
これらを知って頂くことで、遊廓という異空間に少しでも興味を持って貰えた
ならと思います。
いかがでしたか?
廓詞の世界。
また、機会がありましたら、ご紹介して行きたいと思います。
それでは皆様。御機嫌よう・・・。
おさらばえ。