お得な方言♪
バンコクに帰りたい
早く移住したいっ!
毎日バンコクが恋しい
しますよ、移住!!
必ずっ!
うさこです
前回の続きです。
⓵は
⓶は
⓷は
⓸夫へのあてつけ…←最低。
気にして欲しい、
構って欲しかっただけ。
これ書こうかすごい悩みました。
本当に最低なんだもん
おまけにこの事実を
夫は知らないかも?!
あーバレちゃうね。
うーん、ケンカになるかな?
隠しても仕方ないし、
まぁ、いっか。
この⓸の考え方、
本当に大間違い!!!
もうどれもこれも、
言い訳にしかなりませんが、
ケンカして過食嘔吐は、
当て付けの事が多かったですね。
あなたのせいで!!って。
ケンカなんて自分のせいでも
あるのにね。
ケンカして夫と向き合う事から
逃げていました。
どんな事でも人のせいにしておけば、
人間って楽なんだよね。
過食嘔吐になれば、
ケンカはそこで終わりだったし。
今は100%向き合わなきゃいけないので、
それはそれで大変ですが(笑)
でもあやふやで終わる事がなくなり、
雨降って地固まるに
なっています、たぶん。
後、治る事が怖かったんです。
摂食障害が治ってしまったら、
それだけで22年生きてきた私は
何もなくなる。
もう私の方見てくれなくなるの?
もうどうでもよくなるの?
心配もしてくれなくなるの?
って。
心情的には、
「おかーさん!妹ばかりでなく
もっとこっち見て!!」
に似ています。
夫はお母さんではない。
そんなの分かってるのに、
治ってしまう事が不安で仕方なかった。
摂食障害になってやっと、
母は私の方を見てくれたから。
でも克服してみて
全然違っていました。
私の方を見なくなるどころか
一緒にできる事(食事がほとんどですが)
が増えて楽しくなった。
摂食障害の心配は無くなったかも
知れませんが、
常に健康面は気にかけてくれています。
私が克服してから
夫も抹茶男も幸せそうに見える。
前は食イベントなんて提案すら
されませんでした。
行けないからね。
今は次は一緒にここへ行こう、
一緒にあれ食べよう
って毎週探してくれます。
それって気にかけてくれてる事だ!!
って気が付きました。
そして私も相手を気にかける
余裕が生まれました。
子供より夫より自分の事で必死だったので。
過食嘔吐を手放したら、
ほっとかれると思ったけど、
逆でした。
ほっとかれるって方言?
克服した先は何も無いと思っていたけど、
全然違っていた。
他の悩みがまぁ次々見えちゃうけど、
それ以上に幸せもやってきた。
まず自分を幸せにしてあげる事。
この言葉、MAYAさんから頂いた言葉、
ありがとー!!
自分が幸せだと周りも幸せなんだと
知りました。
摂食障害、その背景は本当に
人それぞれ。
私の場合は、
誰かの、何かのせいにして問題から
誰かの、何かのせいにして問題から
目を逸らし、
逸らし切れなくて
過食嘔吐に逃げ、
愛情も間違った方法で得ようとし、
痩せを維持する事で
必死に自分を保っていました。
あーもうこれ書いてて
自分が嫌になる(笑)
でもそれが過去の私。
過去があるから今があるので、
自分の人生は否定したくないです
まだまだ人として学ぶ事は
たくさんあります。
失敗もたくさんすると思います。
でもそうやって成長していきたいです
おわり。
★うさこと会いませんか?@バンコク
日時 :6月23日、13時から14時
会場:アソーク周辺のカフェ。
参加費: 1500B(ドリンク代込み)
対象者:摂食障害の方 、先着1名様。
お申込み: アメブロメッセージまたは
まで。
メッセージのタイトルはバンコクでの対面希望とお書きください。
ご質問のみもご遠慮なくどうぞ(^^)
① お名前
②メールアドレスをお書き下さい。
後ほどこちらから連絡致します。
◆ライン電話セッション、対面セッション
ご相談や話したい事、何でもOK。
誰にも話せなかったり、理解されなかったり
一人で悩んでいませんか?
摂食障害は食べる事だけ
解決すればいいと言うわけではありません。
ほとんどの方が、
人間関係、夫婦関係含め、
0か100の考え方など、
生き辛さを感じています。
食べる事、生き方、両方の面を、
一緒に考えていきたいと思っています。
どうか一人で抱え込まないで下さい。
初回無料なのでお試し下さいね。
ライン電話、対面セッションに対する
よくある質問とご感想は
詳細とお申し込みは
ご質問もご遠慮なくどうぞ(^^)
@食フェス
また行きたいな、
と言うか行く(笑)
それでは、またねっ
うさこ
個別アドバイス第2回目
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昨日の記事で奄美諸島の事に触れたので、夫の田舎の事を思い出しました。徳之島へは夫の母のお葬式の時を含めて、何度か行きました。
飛行機を鹿児島で乗り換えて、小さな飛行機で徳之島へ向かうので大変でした。
母のお葬式は、田舎から出てきて同居していた双子の兄の家で、仮通夜をしてから遺体を飛行機に乗せてから田舎で行われました。
仮通夜の後で赤飯を出したり、遺体を飛行機に乗せたり、何か変わってるなあと、その時は思っていました。
ちょうど夏休みだったので、末娘だけ連れて徳之島へ行きました。田舎の家はそんなに広くなく、親戚じゅうが集まるので、子供はあまり連れて行くわけにはいきません。実際姉も末っ子だけ連れてきていました。
末娘は姉の子と仲良く遊んでいましたが、夫が田舎の方言でみんなと話しているのを見て、ひどく驚き、お父さん宇宙語しゃべってる、何言ってるのか全然わからへん、あれお父さん違うわ!と泣きそうな顔で言って来ました。
私もなんど聞いてもさっぱりわかりませんでした。肉の事はわ、魚はゆ、兄はむい、姉はあっか、同じ日本語とは思えませんでした。
そしてお通夜の夜、親戚が集まっていろいろと話が弾み、母の事をみんなで懐かしんでいました。
その最中に母を傷つける様なことを言われ、私もドキッとしたのを覚えているのですが、横にいた夫は身体を強ばらせ、手を握りしめていました。
どうにか怒りを静めたのか、その後は普通にしていました。
しかしお開きになってみんなが布団に入るときになって、夫は外へ出ていきました。
トイレは外にあったので、しばらく待っていたのですが帰ってきません。
心配になって様子を見に行くと、夫は車の中で泣いていました。
夜とはいえ真夏の徳之島です。締め切った車内のムッとした空気の中で、夫はおふくろが可哀想や、おふくろが可哀想やと繰り返して大声で泣いていました。
私が中へ入っても、何であんなこと言うのや、おふくろー、おふくろーと泣き止みませんでした。
私は慰める言葉も見当たらず、ただ背中を撫で続けていました。
夫は一晩中子供のように泣き続け朝までずっとおふくろ、おふくろと呼び続けていました。
母に対して言われたこともあったでしょうが、母への愛情、自分の家で見てあげられなかった悔しさ、母の苦労、いろんな事が吹き出したのでしょう。
日頃は母に会ってもろくにものも言わず、ぶっきらぼうな人でした。こんな夫の姿を見たのは初めての事で、こんなに深い愛があったのかとびっくりしました。
自分がどんなに辛くても、余命宣告を受けても泣かなかった夫のただ一度の涙でした。
最後に、母の遺体は次の日のお葬式の後、土葬にされました。
これも初めてで、本当にびっくりしました。
もう20年以上も前の事でした。