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まだ桜の季節には早い時期ですが、梅は少しづつ咲いてきまして。
「ああ、こうやって季節は変わっていくのだなあ」ということを改めて感じつつ、それと同時に花粉症の症状が日々酷くなっていることに「今年もか」と対策を講じ始めた私です。
寒いのは苦手なので、暖かくなるのは嬉しい限りなのですが、、、、、花粉症の症状が出始めると持病の喘息の症状も酷くなりますし、夫も我が子もアレルギー体質ですので、家の中の環境や食事の内容等にもより気を配っていかねばなりません。
(こちらの地域も野菜の価格高騰が続いていますが、なんとかやりくりして野菜多めの食事を作るようにしています)
そんなある意味憂鬱も伴う季節が近づいておりますが、やはり綺麗な花を眺めることは楽しいですね。
我が家は庭に「子供が産まれた時に植えた梅の木」がありますので、晴れた日は家事の合間に「今日は何分咲きくらいかしら」と眺めては、子供の成長を感じて「これからも梅の木と我が子、両方とも元気に過ごしてほしい」と願うばかりです。
梅の開花を感じると、その後に続くであろう「桜の開花」がより身近に感じて。
それと一緒に、思い出すのは「今まで私が経験した、桜のお花見」。
我が子と眺めた桜や、仕事帰りに一人で眺めた桜や、友達やママ友と眺めた桜。
そこに「夫とのお花見」も加われば良いのですが、夫は3月4月の「桜の季節」が仕事の上では一番多忙な時期(早朝出勤で深夜の帰宅になることも多々)ですし、夫本人が「俺も日本人なはずなのに、何故だかわからないけどあまり花見に興味がない」ということもあって、二人で桜をのんびりと眺めた記憶というのは、あまり(いや、ほとんど)ないような気がして。
(車で移動中に道路わきに並んだ満開の桜の木を眺めたことはありますが)
そんなことを思い出しましたので、昨夜は「今年は一緒にお花見が出来たらいいな」と、夫に言ってみました。
夫とはもう20年くらい一緒にいますし、だから「私がすべきことは、夫がすべきことを優先し、支えること」なのは私もわかっていて。
だからこそ、仕事が大変で忙しい時期は「夫が少しでも仕事に集中できるよう、サポートするのが私の役目」だということを礎にして、私は夫に「ああしたいこうしたい」ということを口にすることは出来るだけ遠慮していたし、それで良いとも思っていた。
ただ、昨年、婚外恋愛をしていた彼との関係を終わりにした時、彼に「これからは俺とじゃなく、君は旦那と一緒に花見をしなさい」と言われたことが私は今も胸に残っていますので、今年はなんとなく、「一緒にお花見がしたい」と、夫に対して口にしたくなってしまったんです。
(今まで夫に対してそんな言葉を一度も発したことがなかったというわけではありませんが、今年は例年以上に夫とお花見がしたい気分であるというのが、正直なところですので)
聞きようによっては「彼との関係が終わったから、そこで得ていた経験を夫に対してのものにしようというすり替え行為」と聞こえるかもしれないし、となれば私はやはり下衆な女なのだと思われるのであろうということは承知していますが。
婚外恋愛相手だった彼と最後に会った時の会話を何度も振り返るたびに、「新たに気付いたこと」というのはいっぱいあって。
その中のひとつに「私が一緒にお花見をする相手は夫であり、彼にとってのその相手は奥様である」ということがハッキリとしたというものがありましたので、こうしてこの場で呟いた次第です。
今だからこうして文字にすることが出来ますが。
彼と最後に会った時、その頃は「彼の病状がかなり厳しいものである」というのは私も彼も知っていましたので、彼の口から「桜は見れないかもしれない」と言う言葉が出た時は、私も本当にショックで。
だからそれに続くように、彼が「君はもう俺の事は忘れて、もっと旦那と向き合って、旦那ともっと幸せになりなさい。君の頭の中も心の中も、今まで以上に旦那や子供のことでいっぱいにして生きていきなさい」と言った時は、辛かった。
それが私の本来あるべき生き方なのだということはわかっていたけれど、彼とこんな別れ方をする自分を分析する度に、冷静さは続かず、どうしても「辛い、切ない」という気持ちが沸きあがってしまって、夫や我が子、そして彼の奥様に対しても何度も心の中で謝りながら、それでも、「彼がどうか元気になって、奥様やお子さんとこれからも少しでも幸せに生きてくれるように」と願わずにはいられなかった。
あの時、彼と並んで座った私は「わかりました」と小さな声で答えたけれど。
でも、心の中では様々な嘘をついていたのだと思います。
なるべく冷静を保って、彼に対して受け答えをしていたつもりでしたが、、、、、、今思い出すと言葉足らずで未熟な思考ばかりな自分であったと反省することが多いですし、時が経った今になって気付くこともたくさんありますので、それを感じるたびに「自分の視野の狭さや不器用さ」も痛感しています。
とりあえず今思っているのは、「彼とお花見をするにふさわしいのは誰であるか」ということ。
お恥ずかしい話ですが、彼と別れた頃の私は「それでも、また彼と一緒に桜を見たい」と考えることも多かったですし(彼とは仕事をしていた頃からその合間に桜を見る機会がありましたし、私が結婚して離れた後も、彼の出張の都合などで桜の季節に会う事が多かったので、二人で桜を見る機会は何度かありました)、それが「彼に元気になって欲しい」と願う、私を後押しするような部分もありました。
でも、今の私は、そんな気持ちが少しづつ変化をしていて。
「彼とはもう一緒に桜を見ることが出来なくてもかまわない。もう二度と彼に私が会えなくても、彼が元気になるならそれでいい」と強く思えるようになりましたし、「私がしたいのは、元気になった彼が奥様やお子さんと幸せに暮らすこと。もしそれに桜の花見が絡むのだとしたら、私が望むのは、彼が自分のご家族と楽しげにお花見をしている様子を、私は遠くから眺めることが出来たら、それだけでいい」と、最近は考えるようになりました。
最初に自分の中でそんな言葉が(望み)が浮かんだときは「でも、、、遠く
らこっそり眺めるって変かな。私これではストーカー認定されてしまうかしら」という不安も浮かびましたが。
自分の中で思うことは自由かな、とも考えますので、今の自分の状況として、記録しておきます。