賢者 なくした夢、あずかってます。
キャリア・子育て・パートナーシップ…
愛と人生の舵を取り『本当に生きたい人生』を生きるためのセルフコーチングメソッドをお伝えする『フリーライフアカデミー』主宰。
フリーライフコーチで、 5歳女の子のママで写真家の鶴賀奈穂乃(つるがなほの)です
でもブログで
【なほのSTORY】を書きながら自分の人生や感情としっかり向き合ったら、12日後には一気にブログアクセスが月間90万を超え、家庭も、お仕事も、パートナーシップもわたし史上最幸を毎日更新生きる勇気とパワーが湧いてくる!と多くの出版リクエストをいただいた【なほのSTORY】を、読みやすくメールで再配信!無料購読はこちら
突然ですが、
わたしって多分とてもワガママだと思います。
小さい時から
「こんな人生を生きたい!」
という想いが
いつでもその時々にとても強くあって、
それを手に入れるためには
まったく妥協を許さなかったという…。
今、わたしにも4歳のこどもがいますが、
娘がわたしみたいになったら、
親としてはそれはもう大変だろうな〜と、
今から戦々恐々です
というのは半分冗談、半分本気ですが(笑)、
そんなわたしが2年半前に
グアムから日本に帰国してから、
これまでその時々でずっと強く持っていた
「こんな人生を生きたい!」という想いが
自分でもなんなのか
よくわからなくなってしまったんですよね…
それが
今回湘南から等々力にお引越しすることになり、
もう一度その姿を現し始めている感じがするんです!
それで、
結婚11年が経ち、
4歳の娘がいる
41歳のわたしが抱く
「こんな人生を生きたい!」
という夢のカタチを、
ちゃんと自分で把握したいんです。
わたしの『理想の人生探し』。
この記事を書きながら、
わたしの記憶をゆっくり深掘りしようと思います。
わたしもこれから何が見えるのか、
何に気がつけるのか
とてもワクワク・ドキドキしています
今日はそんなわたしの『理想の人生』を探す旅に
お付き合いしてもらえたらうれしいです!
写真:“Homecoming(2010)” ミクロネシア在住アーティストを対象にした隔年のアートコンテスト“Creative Hands 2011”の入賞作品のひとつ。
わたしが小さい時から両親は共働きで、
幼稚園生くらいのときは、
住み込みでこそないものの、
ほとんどそれに近いような
お手伝いさんがいました。
共働きとは言っても
父の宝石商としてのビジネスを
母が手伝っていたという感じ。
でもよくある
奥さんは経理を手伝う…
というのではなく、
今思うと、
父は数十万から数百万円のお取引になる
宝石のお客様のところに母を同行することで
心の支えを得ていたんじゃないかと思います。
だからお客様のところに行くのが夜になると、
わたしは2つ年下の妹とお手伝いさんと一緒に
家でお留守番をし
ければいけなかったんですが、
母が8時には帰ってくるからと言って家を出たのに
8時を少しでも過ぎると
もう両親に何かあったんじゃないかと心配で心配で、
いつもぴーぴー泣いていて、
まだ3,4歳の妹に慰められるという…(苦笑)。
父のビジネスがあまりうまく言っていないときは
やっぱり家の中が険悪な雰囲気になることもあり、
ある日起きたら母がいないんじゃないかと心配で、
母のベッドサイドのテーブルに、
私たちを置いて行かないでねと
お手紙を書いておいたことも多々ありました。
自分の知らない世界があることに気づいた10歳
わたしは小学校4年生のときに
学校でフランス語を習い始めたんですね。
フランス系の幼稚園から大学まである学校だったので
小学校から大学まで教えている
フランス人の先生もいらっしゃって、
ご自分の家庭を動画撮影して
フランス語の教材にしていたので、
なんとなく小学校のときから
「フランスの家庭」を垣間見ることに。
日本の英語の授業だと
多分「ディス・イズ・ア・ペン」とかから
英語を学び始めるんだと思いますが、
わたしにとって
記憶にある最初のフランス語のフレーズは、
「これはボウルです」
フランス人の先生のお嬢様と息子さんが
カフェオレボウルを持って
ビデオに登場するんですが、
フランス人って
こんな風に大きなボウルに
カフェオレや紅茶を入れて
朝食にするのね〜!って大衝撃
当時のわたしと
あまり年の変わらないこどもたちが
お母さんからカフェオレにする?紅茶にする?
なんて聞かれていたりして、
それがすばらしくおしゃれでかっこよくて、
そしてこどもでも
一人前に扱ってもらっている感じがして、
心からいいな〜と思ったんですよね。
父が母よりも11歳年上で、
90歳近い祖母も同居していて、
まさに日本の亭主関白な家庭で育ったわたしには、
学校のフランス語の授業で毎日のように見る
あのフランスの家庭の雰囲気が
とてもおしゃれで、
そして自由に思えて、
わたしもできるだけ早く親元を離れて
あのすてきなフランスに行く!
と若干10歳くらいで心に決めました。
固く心に誓っていた10代
わたしの学校は小学校から中学校に上がる時に
第1外国語として学ぶ言語を
英語かフランス語から選ぶんですが(当時は)、
わたしはもちろんフランス語を選びました!
多くのお友だち(むしろご父兄だったのかも)は、
やっぱり大学受験を考えると、
フランス語受験は受験できる大学の数に
かなり限りが出てしまうので
英語を選択していました。
でもわたしはまったく迷うことなく
フランス語。
理由は、
「人と同じことをしたくないから」
とずっと思ってきたけれど、
今思うと、
「フランスは、
わたしを両親の元から救い出してくれる
ヒーローかヒロイン」
だったのかもしれません。
とにかくわたしは中学校でフランス語を選択すると
すぐにフランスに留学することを考えました。
当然中学生が自力でフランスに留学はできないので、
毎日のように両親に直訴!
もう今考えると本当に両親に脱帽なんだけど、
週に3〜4日は
お夕食のあとに夜な夜な家族会議…
中学時代の約半分の夜を、
両親を説得するために使っていたのに(苦笑)、
そんなに何を訴えていたのか
今ではあまり覚えていないけど、
父に言われたいくつかのフレーズ、
特に、
「日本人のくせに日本のこともろくに知らないで、
フランス語だけ話せるようになって何になる!」
という言葉には何度も納得しかけて(笑)、
イヤイヤそうじゃない〜!!!って
あの手この手で父を説得しようとしていました
族はいらない!
多分、世の中の大半の人たちの例に漏れず、
わたしの両親も
人生の荒波に翻弄されることが多く、
長女だったわたしは
いつもそれを聞かされていました。
41歳になって、
わたしもいろいろな経験をした今思えば、
両親にとって「家族」って、
荒れ狂う人生の嵐の中で、
激流に飲み込まれてしまうことがないように
唯一しがみついていられる杭のようなもの
だったのかもしれません。
でも10代になったばかりの当時のわたしには
両親のそんな気持ちなんて知る由もなく、
わたしは自由でいたいのに、
わたしが自由でいようとすればするほど
きつく縛り付けてくる両親が
単純に嫌でたまりませんでした
アメリカの寄宿学校が舞台になった小説を読み、
親の監視から離れて
夜中にそっとお友だちのお部屋で
パジャマパーティーをするハイスクール生活に憧れ、
早く16歳になりたい!
早くオトナになりたい!
そして両親の元から飛び出したい!
そう思い続けた中学時代。
家族はわたしを牢獄に閉じ込める何物でもなく、
わたしから自由を奪うもので、
そんな不遇のわたしを
白馬に乗ったフランスの王子さまが
いつか助け出しに来てくれるのを信じて、
それまで親になんて言われようと
絶対にくじけない!
わたしはそう固く思い続けていた
ティーンエージャーでした。
わたしの一番最初の自己紹介でも
「家族を大切にしながら
自分の人生を生きる
4歳の女の子のママで写真家」
って言っているように、
わたしにとって「家族」は
人生を通してすごく大きなキーファクター。
でもわたしの中の「家族」の
一番最初で最も大きな印象は
「わたしから自由を奪うもの」
でした。
心の底から「家族」を
大切にしたいと思っているのに、
ときどきものすごく「家族」から
自由になりたくなる。
この41年間、
密かにわたしの中にずっとあった想い。
今日、
こうして『理想の人生』を探す旅ということで
小さい頃から思春期の始め頃までを思い返してみて、
とても大切なことに気が付きました。
どうにかして、
「家族」と「自由」を両立できないか。
どうやらわたしの『理想の人生』探しは、
「家族」と「自由」の両立を求める旅
になりそうです。
よかったら皆さんもぜひわたしと一緒に
『理想の人生』探しの旅を
たのしんでみてください!
明日は、とうとう憧れの海外に短期留学!
初めての海外。
初めての親元を離れての短期留学。
初めての恋…。
めくるめくバラ色の世界を
深掘りしていきたいと思います
マスコミには絶対に理解できない賢者のこと
安くて可愛いタオルが見つかりました500円
ユースキンは匂いが独特ではありますが
色々な手袋も買いました
こーんな可愛いゴム手袋も100均にあるなんてしゅごすぎぃ〜
ファンくるでは
100%還元案件が出た時飛びついてますが田舎なので未だに商品購入モニターしかできてません
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賢者でさわやかライフ
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グラブル発表の仕方けっこうバカだよな