源氏は毎日更新!

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源氏 ふれあいコミュニケーション

サムライ 川西市まで鉄馬に跨り、遠駆けいたしました。(スクーターでブイ~ンと行ったという意味)

兵庫県川西市多田院多田所町

清和源氏発祥の地

多田神社(ただじんじゃ)(別名 多田院)

御祭神 

源 満仲清和天皇の第六子の貞純親王の子・源経基の嫡男、多田源氏の祖。

源 頼光満仲の長子

源 頼信満仲の三男、河内源氏の祖。

源 頼義頼信の嫡男、河内源氏二代目

源 義家頼義の長男、通称・八幡太郎。源頼朝の祖先。

因みに、甲斐武田氏(信玄さまとか)は頼義の三男・新羅三郎義光の子孫にあたる。

  

猪名川に架かる御社橋

御社橋を渡ると多田神社があります。

説明板に当社廟所が音を発して揺れ動く事が我国史上有名な「多田院鳴動」で、源頼朝公敵追討時より端を発し、足利義昭公まで枚挙にいとまがなく、鳴動ありし時は幕府に注進した。と書かれている。

阪神淡路大震災の2ヶ月ほど前にこの隣町の猪名川町や能勢で「猪名川群発地震」という微震が連発したのは阪神淡路大震災の予兆であったかもしれない。とのことを思い出した。多田神社でも揺れたはずである。幕府には注進しなかったようである。

石段を上がって南大門(県指定)

源氏の家紋である笹竜胆(ささりんどう)は分かるんですが、葵の紋はてなマーク

そうなんです(どうなんですか?)、この多田神社は天正5年(1577)信長の有岡城攻めの際に織田信澄(信長の甥)の軍勢によって社殿を焼失したんですね。それが江戸時代になって清和源氏を称した徳川家から崇敬され、寛文7年(1667)、将軍徳川家綱によって本殿、拝殿、随神門などが再建されたちゅうことです。徳川様々ちゅうことなんですわ。

因みに、徳川は源氏を称して征夷大将軍に就いたが、源氏というのはでっち上げである。織田信成くんのおじいちゃんが信長の子孫ということにしたように家系図を書き換えたようやね。

徳川家康わしは源氏なんや~あせる

随神門(重文)

拝殿(重文)

狛犬

狛犬

葵紋の方が目立ってるあせる

まあ徳川さんがいなかったら今見られる多田神社はなかったんやね 葵の紋

本殿(重文)

説明板

控えおろうービックリマーク水戸の御老公もおいでになられていた。

御老公の銀杏良く育っています。

徳川恒孝(とくがわつねなり)だれはてなマーク と思いググってみたら、15代将軍慶喜の曾孫さん。徳川幕府続いてたらこの人も将軍さんやったんやね。

皇室の方々もあり。

すもぅ取りすっぽんぽんで風邪ひかん音譜 ← どんとのCMより。

境内摂社、田尻稲荷神社あり。鳥居は三十四基ある。


形石あり。鬼というよりプレデター

六所宮。鎌倉期創建の神社で拝殿は室町後期に再建。

徳川家綱再建の東門

家綱って家光と綱吉に挟まれて影薄いけど、地味に頑張ってますトノサマ

広い境内を石垣と堀が巡っていて、城郭を思わすような造りになっていました。

東門を撮ってると偶然山車が通った。近くの神社でお祭りしてたようである。

西門も高麗門になってます。

高麗門て調べたら、文禄・慶長の役(1592~1598)の間に造られ始めた門であるらしいもん。藥医門より強度があって屋根を小ぶりにして守備側の死角を減らす工夫がしてあるんやと。

御朱印いただきました。

この時はまだ温かった。

ほなまた。

18/10/28

3時間で覚える源氏絶対攻略マニュアル

サムライ 川西市まで鉄馬に跨り、遠駆けいたしました。(スクーターでブイ~ンと行ったという意味)

兵庫県川西市多田院多田所町

清和源氏発祥の地

多田神社(ただじんじゃ)(別名 多田院)

御祭神 

源 満仲清和天皇の第六子の貞純親王の子・源経基の嫡男、多田源氏の祖。

源 頼光満仲の長子

源 頼信満仲の三男、河内源氏の祖。

源 頼義頼信の嫡男、河内源氏二代目

源 義家頼義の長男、通称・八幡太郎。源頼朝の祖先。

因みに、甲斐武田氏(信玄さまとか)は頼義の三男・新羅三郎義光の子孫にあたる。

  

猪名川に架かる御社橋

御社橋を渡ると多田神社があります。

説明板に当社廟所が音を発して揺れ動く事が我国史上有名な「多田院鳴動」で、源頼朝公敵追討時より端を発し、足利義昭公まで枚挙にいとまがなく、鳴動ありし時は幕府に注進した。と書かれている。

阪神淡路大震災の2ヶ月ほど前にこの隣町の猪名川町や能勢で「猪名川群発地震」という微震が連発したのは阪神淡路大震災の予兆であったかもしれない。とのことを思い出した。多田神社でも揺れたはずである。幕府には注進しなかったようである。

石段を上がって南大門(県指定)

源氏の家紋である笹竜胆(ささりんどう)は分かるんですが、葵の紋はてなマーク

そうなんです(どうなんですか?)、この多田神社は天正5年(1577)信長の有岡城攻めの際に織田信澄(信長の甥)の軍勢によって社殿を焼失したんですね。それが江戸時代になって清和源氏を称した徳川家から崇敬され、寛文7年(1667)、将軍徳川家綱によって本殿、拝殿、随神門などが再建されたちゅうことです。徳川様々ちゅうことなんですわ。

因みに、徳川は源氏を称して征夷大将軍に就いたが、源氏というのはでっち上げである。織田信成くんのおじいちゃんが信長の子孫ということにしたように家系図を書き換えたようやね。

徳川家康わしは源氏なんや~あせる

随神門(重文)

拝殿(重文)

狛犬

狛犬

葵紋の方が目立ってるあせる

まあ徳川さんがいなかったら今見られる多田神社はなかったんやね 葵の紋

本殿(重文)

説明板

控えおろうービックリマーク水戸の御老公もおいでになられていた。

御老公の銀杏良く育っています。

徳川恒孝(とくがわつねなり)だれはてなマーク と思いググってみたら、15代将軍慶喜の曾孫さん。徳川幕府続いてたらこの人も将軍さんやったんやね。

皇室の方々もあり。

すもぅ取りすっぽんぽんで風邪ひかん音譜 ← どんとのCMより。

境内摂社、田尻稲荷神社あり。鳥居は三十四基ある。


形石あり。鬼というよりプレデター

六所宮。鎌倉期創建の神社で拝殿は室町後期に再建。

徳川家綱再建の東門

家綱って家光と綱吉に挟まれて影薄いけど、地味に頑張ってますトノサマ

広い境内を石垣と堀が巡っていて、城郭を思わすような造りになっていました。

東門を撮ってると偶然山車が通った。近くの神社でお祭りしてたようである。

西門も高麗門になってます。

高麗門て調べたら、文禄・慶長の役(1592~1598)の間に造られ始めた門であるらしいもん。藥医門より強度があって屋根を小ぶりにして守備側の死角を減らす工夫がしてあるんやと。

御朱印いただきました。

この時はまだ温かった。

ほなまた。

18/10/28

源氏 来て見て触って、富士通のお店

サムライ 川西市まで鉄馬に跨り、遠駆けいたしました。(スクーターでブイ~ンと行ったという意味)

兵庫県川西市多田院多田所町

清和源氏発祥の地

多田神社(ただじんじゃ)(別名 多田院)

御祭神 

源 満仲清和天皇の第六子の貞純親王の子・源経基の嫡男、多田源氏の祖。

源 頼光満仲の長子

源 頼信満仲の三男、河内源氏の祖。

源 頼義頼信の嫡男、河内源氏二代目

源 義家頼義の長男、通称・八幡太郎。源頼朝の祖先。

因みに、甲斐武田氏(信玄さまとか)は頼義の三男・新羅三郎義光の子孫にあたる。

  

猪名川に架かる御社橋

御社橋を渡ると多田神社があります。

説明板に当社廟所が音を発して揺れ動く事が我国史上有名な「多田院鳴動」で、源頼朝公敵追討時より端を発し、足利義昭公まで枚挙にいとまがなく、鳴動ありし時は幕府に注進した。と書かれている。

阪神淡路大震災の2ヶ月ほど前にこの隣町の猪名川町や能勢で「猪名川群発地震」という微震が連発したのは阪神淡路大震災の予兆であったかもしれない。とのことを思い出した。多田神社でも揺れたはずである。幕府には注進しなかったようである。

石段を上がって南大門(県指定)

源氏の家紋である笹竜胆(ささりんどう)は分かるんですが、葵の紋はてなマーク

そうなんです(どうなんですか?)、この多田神社は天正5年(1577)信長の有岡城攻めの際に織田信澄(信長の甥)の軍勢によって社殿を焼失したんですね。それが江戸時代になって清和源氏を称した徳川家から崇敬され、寛文7年(1667)、将軍徳川家綱によって本殿、拝殿、随神門などが再建されたちゅうことです。徳川様々ちゅうことなんですわ。

因みに、徳川は源氏を称して征夷大将軍に就いたが、源氏というのはでっち上げである。織田信成くんのおじいちゃんが信長の子孫ということにしたように家系図を書き換えたようやね。

徳川家康わしは源氏なんや~あせる

随神門(重文)

拝殿(重文)

狛犬

狛犬

葵紋の方が目立ってるあせる

まあ徳川さんがいなかったら今見られる多田神社はなかったんやね 葵の紋

本殿(重文)

説明板

控えおろうービックリマーク水戸の御老公もおいでになられていた。

御老公の銀杏良く育っています。

徳川恒孝(とくがわつねなり)だれはてなマーク と思いググってみたら、15代将軍慶喜の曾孫さん。徳川幕府続いてたらこの人も将軍さんやったんやね。

皇室の方々もあり。

すもぅ取りすっぽんぽんで風邪ひかん音譜 ← どんとのCMより。

境内摂社、田尻稲荷神社あり。鳥居は三十四基ある。


形石あり。鬼というよりプレデター

六所宮。鎌倉期創建の神社で拝殿は室町後期に再建。

徳川家綱再建の東門

家綱って家光と綱吉に挟まれて影薄いけど、地味に頑張ってますトノサマ

広い境内を石垣と堀が巡っていて、城郭を思わすような造りになっていました。

東門を撮ってると偶然山車が通った。近くの神社でお祭りしてたようである。

西門も高麗門になってます。

高麗門て調べたら、文禄・慶長の役(1592~1598)の間に造られ始めた門であるらしいもん。藥医門より強度があって屋根を小ぶりにして守備側の死角を減らす工夫がしてあるんやと。

御朱印いただきました。

この時はまだ温かった。

ほなまた。

18/10/28


源氏 関連ツイート

源氏のバク転くるくる(名前知らん)近くで見られたのもほんとによかったー
今日は家から応援します!
源氏ばんざい!!!!(?) https://t.co/aoCI8psBwc
RT @kimimitu12: 「源氏の重宝、髭切さ」
って名乗ってるのに、みんな『髭切』じゃなくて

「あにじゃああああああ!!!!!!」

って叫んでるの、全員に弟が憑依してる感があって大好き。

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