失敗しない源氏選びは、ココから始まる!
源氏の君と
頭中将
左馬頭
ひだりのうまのかみ
と呼びますよ
藤式部氶
とうしきぶのじょうが
男身勝手な
女選びですよ。。。
家柄と辛抱、、
すいません
信望です
信望というのは
信頼と人望
これが揃っていて当たり前
そのような女
愛らしげな娘が
人知れず荒れ果てたような
草深い家に住んでいる
これがいいようなんですよ
勝手ですよねえ
男ってえもんは
源氏 はやい、やすい、うまい
川西市まで鉄馬に跨り、遠駆けいたしました。(スクーターでブイ~ンと行ったという意味)
兵庫県川西市多田院多田所町
清和源氏発祥の地
多田神社(ただじんじゃ)(別名 多田院)
御祭神
源 満仲—清和天皇の第六子の貞純親王の子・源経基の嫡男、多田源氏の祖。
源 頼光—満仲の長子
源 頼信—満仲の三男、河内源氏の祖。
源 頼義—頼信の嫡男、河内源氏二代目
源 義家—頼義の長男、通称・八幡太郎。源頼朝の祖先。
因みに、甲斐武田氏(信玄さまとか)は頼義の三男・新羅三郎義光の子孫にあたる。
猪名川に架かる御社橋。
御社橋を渡ると多田神社があります。
説明板に当社廟所が音を発して揺れ動く事が我国史上有名な「多田院鳴動」で、源頼朝公敵追討時より端を発し、足利義昭公まで枚挙にいとまがなく、鳴動ありし時は幕府に注進した。と書かれている。
阪神淡路大震災の2ヶ月ほど前にこの隣町の猪名川町や能勢で「猪名川群発地震」という微震が連発したのは阪神淡路大震災の予兆であったかもしれない。とのことを思い出した。多田神社でも揺れたはずである。幕府には注進しなかったようである。
石段を上がって南大門(県指定)
源氏の家紋である笹竜胆(ささりんどう)は分かるんですが、葵の紋が
そうなんです(どうなんですか?)、この多田神社は天正5年(1577)信長の有岡城攻めの際に織田信澄(信長の甥)の軍勢によって社殿を焼失したんですね。それが江戸時代になって清和源氏を称した徳川家から崇敬され、寛文7年(1667)、将軍徳川家綱によって本殿、拝殿、随神門などが再建されたちゅうことです。徳川様々ちゅうことなんですわ。
因みに、徳川は源氏を称して征夷大将軍に就いたが、源氏というのはでっち上げである。織田信成くんのおじいちゃんが信長の子孫ということにしたように家系図を書き換えたようやね。
わしは源氏なんや~
随神門(重文)
拝殿(重文)
狛犬
狛犬
葵紋の方が目立ってる
まあ徳川さんがいなかったら今見られる多田神社はなかったんやね
本殿(重文)
説明板
控えおろうーの水戸の御老公もおいでになられていた。
御老公の銀杏良く育っています。
徳川恒孝(とくがわつねなり)だれ と思いググってみたら、15代将軍慶喜の曾孫さん。徳川幕府続いてたらこの人も将軍さんやったんやね。
皇室の方々もあり。
すもぅ取りすっぽんぽんで風邪ひかん ← どんとのCMより。
境内摂社、田尻稲荷神社あり。鳥居は三十四基ある。
形石あり。鬼というよりプレデター
六所宮。鎌倉期創建の神社で拝殿は室町後期に再建。
徳川家綱再建の東門
家綱って家光と綱吉に挟まれて影薄いけど、地味に頑張ってます
広い境内を石垣と堀が巡っていて、城郭を思わすような造りになっていました。
東門を撮ってると偶然山車が通った。近くの神社でお祭りしてたようである。
西門も高麗門になってます。
高麗門て調べたら、文禄・慶長の役(1592~1598)の間に造られ始めた門であるらしいもん。藥医門より強度があって屋根を小ぶりにして守備側の死角を減らす工夫がしてあるんやと。
この時はまだ温かった。
ほなまた。
18/10/28
「源氏」という怪物
誰やって?
そんなアホ、俺しかおらへんやろ(笑)
これだ。
茶碗①
吉村楽入造 赤楽 御題茶碗
落札価格3,000円
送料750円
計3,750円
白い絵が、何となくクリスマスに窓に貼るシールに似てませんか?
珍しい(初めて見た)ので、ついついゲット。
茶碗②
佐々木松楽造 前大徳寺 西垣宗興和尚書付 銘「好日」
落札価格5,000円
送料950円
計5,950円
私は西垣宗興和尚の(掛軸の字の)ファンなのだ。
珍しい(初めて見た)ので、ついついゲット。
茶碗③
佐々木松楽造 まくくすり黒茶碗
落札価格2,500円
送料1,700円
計4,200円
廉かった(実は傷がある)ので、ついついゲットしたが、送料が異常に高かった。
これは出品者が北海道の人だった為で、確認不足の私が悪い。
勉強になりました(笑)
…………………………………….
三件計13,900円。
ボーナスが出たので気が緩んだ酔っ払いの衝動買いである(笑)
この衝動買いには訳が無い事も無い。
自宅でお弟子さんに濃茶の稽古を始めるに当たって、もうちょっと楽茶碗が欲しくなったのサ。
ウチの師匠の稽古場では、濃茶の茶碗は楽茶碗に決まっている。
薄茶の主茶碗も楽茶碗が多いが、それ以外もある。
しかし、濃茶の茶碗と薄茶の主茶碗は必ず変えておられる。
つまり、毎月最低1個は楽茶碗を使うのだ。
私は一時期骨董市で「ニセ楽」を買うのにハマって、楽茶碗の数はあるのだが、それらは何故かちょっと小さい。
濃茶には使い難い。
表千家では、茶筅を茶碗に入れたまま二回目のお湯を注ぐので尚更だ。
それで、ずっと楽茶碗が欲しいな~と思っていた。
その思いが暴発したのである。
今月の給料が出て、おこずかいもらったら、代金を妻に渡そう。
(クレジットカード支払いにつき家計の口座から引き落とし。)
まあエエわ。
これで稽古がんばろ。
………………………………………………..
今日はM氏が茶通箱、M嬢が炭手前の稽古を付けて頂いた。
M嬢は、今回が初めての炭手前稽古では無いかな。
初心者の炭手前の稽古は、教わる方も大変だか、教える方も大変。
長期戦になるから(笑)
し
かし最初は苦痛でも、だんだん面白くなるから不思議。
いや稽古は、皆そうか(笑)
炭手前の稽古中、K君が私に訊く。
「濡れ灰って、どうやって作るんですか?」
「(小声で)ホンマは乾燥中の樽の中の灰の乾いてないヤツを出しとくんや。師匠はそうされるけど、多くの人は茶道具屋に[濡れ灰」を注文するんや。俺やったら霧吹きで濡らすけど(笑)」
茶通箱の稽古で、師匠はちゃんと2種類の濃茶を用意して下さって、有難いことだなあ。
どこの師匠も、そうされるとは思うが・・・そうでないと、2種類の濃茶を続けざまに飲む意味が無いから(笑)
…………………………………………………………
今日の師匠宅の稽古の道具組はこんなん。
掛軸 :大徳寺 真珠庵の先代 長谷川ナントカ和尚の一行物 「無事是貴人」
花 : 白玉椿の蕾一輪
花入 : 鶴首
花入敷板 : 丸香台
風炉先 : 桑縁金紗腰風炉先屏風
炉縁 : 黒掻き合わせ塗
釜 : 政所釜
棚 : 碌々斎好み 青漆爪紅 糸巻棚
(茶通箱)
茶入 : 京焼 文琳
仕覆 : 七宝文緞子
薄茶器 : 真塗小棗
仕覆 : 四座金襴
箱 : 桐木地四方桟
(濃茶席)
茶入 : 丹波焼 豊治窯造 生野写し
仕覆 : 剣付梅鉢文緞子
茶杓 : 煤竹 銘:兼六
茶碗 : 吉村楽入造 赤楽 木守写し
蓋置 : 佐々木松楽造 緑釉六瓢
建水 : 唐銅エフゴ型
主菓子 : 諏訪園製 きんとん 柚子の実型
菓子器 : 木製独楽塗喰籠
(薄茶席)
薄茶器 :: 真塗薬器棗
主茶碗 : 丹波焼 信水窯造 柿の蔕茶碗
替茶碗 : 膳所焼 陽炎園造 蕪の画
干菓子 : 柚子餅 大学芋スライス型菓子 金箔乗せ押菓子
干菓子器 : 溜塗高坏
今日も楽しく稽古出来ました。
師匠、M氏、K君、M嬢、ありがとうございました。
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お茶の稽古後、Iさん宅で謡の稽古。
橋弁慶の最終章(グランドフィナーレ)と、鞍馬天狗の序章(オープニング)。
最近、子方の出て来る謡(橋弁慶とか鞍馬天狗とか、悲劇で無いヤツ)が愉しい。
サザエさんのタラちゃんではないが、ああいう声を大声で出すのが(笑)
それは冗談として、鞍馬天狗の子方は、遮那王(源義経の少年時代。幼名は牛若だが、鞍馬寺での稚児名は遮那王)なんだが、面白いセリフがある。
それは、
「月にも花にも捨てられて候(そうろう)。」
シテ(主人公)は、鞍馬山に桜の花見に出かけた貧しい身なりの僧(山伏)・・・(それは仮の姿で、実は後半、天狗に変身する。)
そこには花見中の高僧や稚児達が居たが、貧しい身なりの僧を嫌って皆が去って行く。
多分、花見の最中にホームレスのおっちゃんが、「ワシも入れてくれ」と言うて出て来た感じやと思う。
そんな中、只一人残った稚児が遮那王。
貧しい身なりの僧に優しく接する遮那王に残った理由を訊くと、出て来た言葉の中に、これがある。
他の稚児達は、「平家」や「平家に敵対しなかった源氏」の子弟たちで、遮那王(彼の父は、平清盛と争って滅ぼされた源義朝)とは全然扱いが違ったのだろう。
だから、これは、皆と花見や月見なんかしても全然面白く無いという疎外感、将来への絶望感、弱いモノへの同情心、平家への敵愾心の中で生きているという象徴的なセリフなんだな。
ああ、やっぱり平家物語が面白いわ。
Iさん、謡の御稽古、ありがとうございました。
源氏 関連ツイート
って名乗ってるのに、みんな『髭切』じゃなくて
「あにじゃああああああ!!!!!!」
って叫んでるの、全員に弟が憑依してる感があって大好き。
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